近頃の自然史博物館

1997年8月9月10月11月12月


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1997年12月

1997/12/30
 自然史博物館は、大阪市立なので職員は地方公務員。公務員は年末に仕事納めをしたら、年始まで仕事をしません。今年は市役所では12月26日が仕事納めでした。自然史博物館は、12月27日も開館していたので、2回仕事納めをしました。

 で、12月28日からは博物館に誰もいないのかと思ったら、12月28日(日)は27日からの続きで、地学やら昆虫やら植物関係のサークルや研究会の集まりがあったらしく、とてもにぎやかでした。12月29日にはさすがに集まりは何もなかったのですが、学芸員は5人ほどやってきて仕事をしていました。

 今日は12月30日。さすがにここまで押し詰まると、誰もやってくなくて、自然史博物館にいるのは、私と警備員さんの二人だけです。と思ってたら、学芸員がもう一人来た。年末ぐらい休めばいいのに。

 かすみ網を張って鳥を捕まえるのと、冷凍庫にたまっている鳥の死体の皮むきという仕事があるので、明日も出て来るつもりです。人があまりいないと静かで寂しいので、CDやラジオをものすごい大きな音でならしています。

 ちなみに仕事納めの後、博物館に出てきて仕事をしても仕事扱いにはなりません(仕事扱いにしようと思うと、面倒な書類を作らなくてはならないので・・・)。つまりお金にならないばかりか、怪我をしても労災がきかないんですね。怪我には気を付けなくては。


1997/12/25
 自然史博物館では、学芸員の研究成果を載せる「研究報告」と「自然史研究」、収蔵資料を公表する「収蔵資料目録」、特別展のたびに作られる「特別展解説書」、博物館の活動報告である「館報」など、毎年いろんな出版物を作っています(学芸員が編集していますけど、Nature Studyは博物館ではなく、友の会の出版物です)。こういった毎年作られる出版物は、国内・海外の博物館・大学などの研究機関、学会や同好会などとの間での交換に使われます。予算がろくにないので、とても国内外の雑誌は買えないのですが、こうして交換によって雑誌を集めているのです。

 今日は海外宛の図書の発送を行ないました。送り先は472機関、73ヶ国に及びます(香港は抜いて、台湾は含めて)。世界のおもな国にはたいてい送っていることになり、よそにはちょっとない雑誌も色々あります。一番多いのはアメリカ合衆国で、80機関もあります。イラクやパキスタンなどは送っても、結局送り返されて来るんですけどね。

 国内分の発送は年が明けてからです。まだあるのかと思うと、ちょっと憂鬱。
1997/12/23
 今年の7月に自然史博物館のホームページができて、約半年。今日訪問者が5000人を突破しました。昨年の今頃は、インターネットの導入へ向けて組合やら総務局やらJPNICやらIM-netやらを相手に、右往左往していたことを考えると少し感慨深いものがあります。学芸員が日常の仕事のかたわらに、手作りで作っていることを考えると、当館のホームページは健闘しているのではないでしょうか?

 今の所、学芸員個人のページは、「和田の鳥小屋」、「初宿のドイツ箱」、「佐久間の地下室」の3つだけですが、他にも準備している人がいるので、そのうちまた増えるでしょう。で、5000人突破を記念して、個人ホームページへの訪問者数のランキングが発表されました。

  1位 初宿のドイツ箱 972
  2位 和田の鳥小屋  841
  3位 佐久間の地下室 347

 ライバルと思っていた「初宿のドイツ箱」に負けたのが悔しい。開業は「鳥小屋」の方が、1ヶ月ほど早いので、差はもっと大きいことになる。和田対初宿の戦いは、ビジュアル戦略の差が勝敗を分けたと言われています。写真を入れたらもっと見に来てくれるんでしょうか?
1997/12/15-17
 引き続き大掃除です。大掃除のクライマックスは展示室と2階のギャラリー、1階のホール、玄関です。剥離剤と呼ばれる一種の界面活性剤をまいて、電気でたわしがグルグル回る機械(ポリッシャーと言うらしい)で床をこすって、ゴムの付いたトンボのようなもので泡を集めて捨てて、水をまいて、また水をゴムの付いたトンボで集めて捨てて(要するに水洗いです)、モップでふいて水気をとって乾かして、ワックスをぬる。といった手順です。

 とにかく掃除する必要のある面積が広いので、この日ばかりは日頃掃除をしている職員だけでなく、学芸員も事務職員も全員総出です(もちろん館長も)。ゴムの付いたトンボを持って、泡や水を集めるという作業は意外と楽しいもので、けっこう熱中してしまいます。日頃、あんまり学芸員は展示を見ないので、妙な話ですが、展示を改めて眺める機会にもなります。

 これで大掃除は終わり。すみからすみまできれいになった、のならいいのですが、ポリッシャーという機会は丸いので、角っこ等はうまく擦れません。よく見ると、端っこには汚れが何年分も残っていたりします。見逃してください。
1997/12/10-11
 大掃除の続きです。年に一度の研究室と研究室の前の廊下の掃除をしました。と言っても学芸員は、掃除ができるように片づけるだけ。あとは洗ってワックスを塗って乾くまで、研究室には入れません。

 12月10日は、朝から研究室の中の机やテーブルなどを廊下や、掃除をしない部屋(標本制作室など)に運び出しました。日頃から整理が行き届いている動物研究室は朝からの作業で間に合いますが、植物研究室は前日まるまる一日かけて、昆虫研究室は前日の夜遅くまでかかって、”廊下に研究室の物を出す準備”をしていました。先に廊下の物を片づけておかないと、研究室の物は廊下に出せないからです。

 12月10日の研究室の掃除が終わった段階で、研究室の荷物を元に戻すと、何も荷物をおいていない廊下ができあがります。この風景は一年に一度、それも約一日しか見ることができない貴重な光景です。12月12日にはまたいつものような廊下に戻ってしまいました。床はちょっとピカピカしていますけどね。
1997/12/8
 12月は大掃除の季節です。自然史博物館でも大掃除をします。各展示室の展示コーナーには担当する学芸員(あるいは研究室)が決まっていて、自分の担当するコーナーの掃除を都合のいい休館日にやります。今日は動物展示室の3人で、第1展示室と第4展示室の担当する展示物の掃除をしました。

 具体的にやることは、展示コーナーのガラスを内側からふく(外側は毎日ふかれています)、展示パネルやラベルなどをふく、剥製のほこりを柔らかいハケではらう、ナフタリンを補充する(剥製の周りにはたいてい防虫のためにナフタリンが隠されています)、掃除機をかける、といったところです。と書くと簡単そうですが、展示コーナーの中はふつう人が入るようにはできていません。展示物を壊さないように中に入って、これだけの作業をするのはけっこう大変です。気は使うし無理な姿勢はとらなあかんし、展示物を作るときはもう少し掃除の時のことを考えてほしいものです。

 ちなみに第1展示室の干潟にカニがたくさんいるコーナー(10C)にうかつに入ると、カニを踏みつぶしてしまいます。ガラスを内側からふく時には、足をおろす場所が決まっていて、それは担当者しか知りません。門外不出の秘伝のようなものです。今度、展示を見る機会があれば、どうやって掃除するのか考えてみてください。けっこう楽しめるかもしれません。

1997年11月

1997/11/19
 学芸員の仕事の基本は研究です。で、研究にはそれなりにお金がかかります。博物館ならたくさん研究費があるだろうと思うかもしれませんが、実際は研究費と呼べるお金はほとんどありません。それではどうするかというと、方法は3つあります。博物館の予算として大阪市に要求するか、自腹を切るか、どこか大阪市以外からお金を取ってくるかです。博物館の予算には上限があって、割り込む余地はほとんどありません。消耗品はすでにそれなりに予算の中に組み込まれていますが、研究のための旅費は年に2泊3日1回分だけ、研究機器(偏光顕微鏡や岩石カッターなど)は何年も先の分まで待っているものがあって割り込む余地はほとんどありません。

 そこで何かお金のかかる研究をしたい人は、どこかから研究助成のお金を取ってこなくてはなりません(それでもだめで、どうしてもやりたい場合は自腹を切るしかない)。研究助成をしてくれる所はけっこうあるのですが、お金を欲しがる人もたくさんいるので(どこの大学や博物館もお金がないのは似たようなもの)、競争率はけっこう高くなります。その中でなんと言ってもメジャーなのは、文部省の科学研究費補助金(通称、科研費)です。

 毎年、12月頭頃が文部省への申し込みの提出の締め切りで、研究機関ごとにまとめて出すので、各研究機関の締め切りはもう少し早くなります。当館での締め切りは今日。やっとのことで、申し込みに必要な研究計画調書というのを作りました。お金がもらえるかどうかは来年の4月頃(だったと思う)にわかります。

 今年はヒヨドリをテレメトリーを使って追跡するという計画を書きました。長居公園のヒヨドリの個体数は、公園内の果実がなくなると急に減少します。食べ物を求めてどこかへ移動していくのだと思うのですが、どこに行くのかさっぱりわかりません。樹の果実を求めて動き回った後、どこかの畑へ行ってキャベツか何かを食べているのでは、などと勝手に想像しているのですがこれが当たっているか知りたい、というのが本音です。研究計画調書にはもう少しもっともらしく書いたつもりですが・・・。


1997/11/16
 大阪府高等学校生物教育研究会の生徒生物研究発表というのが自然史博物館で開かれました。要するに大阪府下の高校の生物部の研究発表で、今年で第49回なんだそうです。毎年このくらいの時期にあって、時間があれば(部外者なのに)のぞいています。というのは毎年のように鳥関連の発表があるからです。今日は観察会の下見に行っていたので、発表を聞くことができなかったのですが、ちゃっかり資料をもらってしまいました。

 今年の鳥関連の発表は、大阪府立市岡高校生物部の”淀川中・下流域におけるカモの個体数変動(1983-1997年度版)”でした(もう一つあったような気もするけど、何か忘れました)。市岡高校生物部は、毎年1回(1月下旬から3月上旬頃)、淀川の枚方大橋から伝法大橋までをいくつかの区間に分けてカモの種類ごとの個体数を調査しているそうです。この調査は1983年から毎年かかさず行なわれていると言いますから、膨大な資料が蓄積されていることでしょう。

 大阪府の鳥を語る上で、淀川のカモ類は欠かせませんから、市岡高校生物部はとても貴重なデータを持っていると思うのですが、残念ながら今回の発表からはその全貌がさっぱりわかりません。数年前にも一度発表しているのを聞いたのですが、その時もデータの全貌がさっぱりわかりませんでした。示されていたデータは、種類と区間をすべてまとめたカモの個体数の年次変動と、オナガガモ・ホシハジロ・カルガモの数年分だけの河口からの距離に対する分布、だけです。なんで各種の個体数の年次変化や、ヒドリガモやキンクロハジロなどの分布を示してないねん、などと思ってしまいました。

 このまま埋もれてしまうにはあまりにもったいないデータです。どこかで一度まとめて報告してもらえればいいのですが・・・(無理に議論しなくていいから)。それともすでに一度まとめられているのでしょうか? もしどこかで報告されているのを御存知の方はmonitor@omnh.jpまで教えてください。
1997/11/8
 今日は自然史講座の担当が当たっていて、午後3時から「博物館周辺のため池にすむ鳥」という題で、2時間近く話をしました。これは2年前から行なっているため池の調査を簡単にまとめたものです。話をしたかったことは、ため池にすんでいる鳥の紹介と同時に、大阪では(大阪に限らない?)生物が生息できる場所としてのため池が次々と消滅していっていることです。ため池の現状についてはかなりわかってもらえたのではないかと思います。とにかく今のペースでため池が消滅していくと、2038年に私の調査域のため池はすべてなくなります。あと40年調査すれば消滅の過程がつぶさに追えると言うわけです。

 残念ながら準備不足で、データ入力の後分析する時間がほとんどなくて、肝心の鳥のデータはほとんど生データを集計した程度のものになってしまいました。参加者の方には、たいへんわかりにくい話をしてしまいました。申し訳ないです。

 それにしても参加者が29名と、今まで私が担当した4回の自然史講座の中でワーストを記録してしまいました。同じ日の同じ時間帯にテーマ別自然観察会「大阪湾の底棲動物」が行なわれていたからだと思いたい。
1997/11/2
 今日は博物館の友の会の行事「秋のつどい」が博物館で一日行われました。午前中は館内の裏方見学、午後は学芸員の紹介の後、展示を見て問題を解くといったプログラムでした。館内の裏方見学という企画は、「どきどき子ども自然史ウオッチング」と称してここ数年実施してきたのですが、子どもだけでなく大人も裏方を見たいという声が上がったため、今回の家族そろって裏方見学ということになりました。

 裏方見学では、各研究室、標本制作室、書庫、収蔵庫、電子顕微鏡と、本当に博物館のほとんどすべてを見てもらいました。各研究室のそれぞれの机も見せると言うことだったので、前日に机の周りを片づけていた人(私も含めて)も多かったようです。6班に分かれて、それぞれに学芸員や友の会の評議員、博物館実習の学生が4-5人ずつついて館内をウロウロするわけです。一応どこで何分説明するというタイムテーブルがあるのですが、なぜか予定通りにはいかず、結局私の班は30分以上時間を超過してしまいました。

 午後は、まず学芸員が短い自己紹介をするという話だったのに、突然2人ずつ舞台にあげられて、互いに相手を紹介して(つっこむ?)、後から自分の言い訳をする(ぼける?)はめになりました。同時に必ず笑いをとれという指令もあって、つまりいきなりコンビを組んで漫才をやるようなものです。これを見ていた博物館実習の学生の一部は、さすが大阪の学芸員にはお笑いのセンスもいるんだと納得していたようです(?)。ちゃんと笑いをとれたか、ちょっと心配です。

 学芸員の漫才や、その後の学芸員の日常を紹介したビデオとスライドは、内輪受けというか楽屋落ちの要素が強かったように思います。参加者は楽しめたのでしょうか? 内輪ではものすごく受けていましたが・・・。参加者の中で、何か感想があればmonitor@omnh.jpまでお知らせください。
1997/11/1
 大学で学芸員の資格を取るには、博物館実習という科目の単位が必要です。何をする科目かというと、その名の通り博物館施設に行って実習を受けるわけです。自然史博物館にも、毎年夏休みと今頃、博物館実習の学生さんがやってきます。人数はあまり多くなくて、一度にせいぜい十数人、けっこう狭き門です。特別な場合を除き、実習は5日間で、学芸員が交代で指導します。

 今日は私が担当に当たっていて、3人の学生さんの”実習”の指導をしてしまいました。実習にどうして””が付いているのかというと、実際には、学芸員が日常やるべきなのに何故か溜まってしまっている仕事を手伝ってもらっていることが多いからです。”実習”の指導をするというよりは、仕事を手伝ってもらっていると言った方がいいのかもしれません。

 というわけで、今日は以前まとめて寄贈していただいた鳥の仮剥製標本(全部で約1900点)のラベルを読んで台帳に記入するという作業をしてもらいました。今までに何度か実習生に手伝ってもらって、後少しでラベル読みは終わろうとしています。今まで手伝ってくださった実習生のみなさんありがとうございました(とここに書いても本人達には届かないと思うけど・・・)。そのうちに収蔵資料目録として、みなさんの努力を生かしたいと思います(手伝ってくれた方には収蔵資料目録を送らなあかんかな?)。

 ちなみに私は今学芸員ですが、就職してから試験を受けて資格を取ったので、博物館実習は受けたことがありません。当館の学芸員のうち博物館実習を受けたことがあるのは、今年採用された石井陽子学芸員だけです。昨年までは誰も博物館実習がどんなものか知らなかったはずなので、ひょっとすると当館の博物館実習のやり方は、根本的に間違っている可能性すらありますね。

1997年10月

1997/10/19
 今日は国体のリハーサルだとかで、長居公園はとてもにぎやかです。長居植物園は花火を打ち上げるんだとかで、博物館から東側は立入禁止になっています。おかげで予定していた鳥の観察会は、場所を大泉緑地に移すことになってしまいました。突然場所を代えたせいか出席率がとても低かったです。

 今日は部外者は花火の打ち上げをしている場所の半径150m(たぶん)は立入禁止なのですが、博物館の腕章をしていると立入禁止区域に入っていっても何も言われません。たぶん警備に駆り出されている人たちにとっては、植物園も博物館も同じようなものなのでしょう。もし植物園の人がいたら追い出されたと思います。

 さて長居植物園で行なっている調査の一つに、かすみ網を張って鳥を捕まえるのがあります。かすみ網は植物園が閉園しているときしか張れないので(月曜が閉園日)、ふつうは日曜の午後4時半に張って火曜の9時過ぎにたたむことにしています。文句を言われないのをいいことに、打ち上げ場所のすぐそばまで行ってかすみ網を張っていました。てっきり花火の打ち上げは終わってると思っていたのですが、突然パンッパンッパッパッパッパーンとものすごい音がしたかと思うと、ほんの30m位の場所から花火が打ち上げられました。花火の打ち上げを目の当たりにしたのは初めてです。まだ明るかったので全然きれいではありませんでした。


1997年9月

1997/9/29-30
 自然史博物館には、職員の親睦会というのがあって、毎月の給料からお金を積み立てて、宴会をしたり、年に一度旅行に行ったりします。1泊の旅行ができるのは月曜日の休館日と月末の休館日が連続する場合だけで、今年は9月の末に北陸方面へ行って来ました。

 旅行の目的は職員の親睦を深めるためなので、もちろん仕事のことは忘れるはずなのですが、学芸員はどこへ行っても何かを採集しています。3年前に山口へ行ったときには、景勝地でガイドの人がいろいろと説明してくれているのに、学芸員の大半はそんなことはまるで無視して、植物屋は勝手に草を抜いているし、虫屋は捕虫網を振り回しているし、ゴカイ屋は砂浜の砂を袋にいっぱい採っているし、もちろん鳥屋は双眼鏡をのぞいていました。あげくのはてに地学屋はハンマーを持ち出して、景勝地の岩を割っている始末。これにはガイドさんも相当怒っていました。

 今回の旅行は、バスで越前海岸を通って、石川県の山代温泉に行って、いくつか立ち寄って、福井の博物館を見て帰ってきました。相変わらず、観光地に立ち寄る度にそれぞれ何か採集してきていました。石川県小松市の那谷寺では、植物は採集禁止と書いてあったが動物については禁止と書いてなかったのをいいことに、M館長は捕虫網で熱心にゲンゴロウの仲間を採っていました。同じく石川県小松市のゆのくにの森では、地学系のT学芸員は袋にいっぱいのメノウの原石を採ってきていました。

 でも結局、私自身の収穫物であるウミネコのミイラと生きたジムグリが、一番バスガイドさんのひんしゅくをかっていたみたいでした。


1997/9/11
 今年は大阪で国体があります。自然史博物館がある長居公園もメイン会場の一つです。何と国体を祝って長居植物園の中で、真っ昼間に花火を打ち上げるそうです。花火を打ち上げる日である10/5、10/19、10/25、10/30、11/2、11/3の5日は長居植物園は閉園になるという噂です。植物園にでも行こうかなと思っている人は、確かめてください。でも自然史博物館は開いていますのでご心配なく。

 おかげで10/19に長居植物園で予定していた鳥の観察会はできなくなってしまいました。えらい迷惑です。しかしすでに参加者を募集してしまっているので、大泉緑地に場所を変えて鳥の観察会を行なうつもりです。鳥の観察会に申し込もうかなと思っている人は、ご了承下さい。
1997/9/7
 特別展「海底の動物」の普及講演会がありました。海洋科学技術センター(しんかい4000などの潜水艇を持っているところです)の藤倉克則氏が深海の海底温泉の動物の話を、東大海洋研の竹内一郎氏が南極の海底の動物の話を、それぞれ約1時間話してくださいました。私は受付をしていたもので、藤倉さんの話は聞けませんでしたが、竹内さんの話は受付放ったらかして聞きました。南極の海底のようす、とくに比較的浅いところの赤いウニだらけの光景や、もう少し深いところのホヤとその上にのっかったテヅルモヅル類だらけの光景はとても印象的なものでした。あと3000m以上の海底から生きたまま採取された10cmもあるヨコエビが泳ぎ回るビデオなども紹介されました。残念ながら鳥は、昭和基地近くのアデリーペンギンが少しでてきただけでした。


1997年8月

1997/8/31
 昆虫研究室の初宿学芸員に、今年の6-7月に中国の陜西省に行ったときのビデオを見せてもらいました。写っている鳥の名前を知りたいと言うものですから、分布を参考に図鑑と首っ引きで調べることになりました。遠くにシルエットで写っているだけという場合はどうしようもありませんが、そうでないものの大部分については種名まで判断できました。写っていた鳥の種名をあげておくと、イヌワシ、ツバメ、コシアカツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、ジョウビタキ、カワビタキ、ミヤマビタキ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヒゲホオジロ、スズメ、ニュウナイスズメ、オウチュウ、カケス、サンジャク、ハシブトガラス。中国の奥地と言っても、日本でもお馴染みの種類がならびます。個人的には、カワビタキが盛んに尾羽を開いてみせるという行動をすることと、ヒゲホオジロがホオジロにそっくりなさえずりをすることを知ることができて、けっこう有意義でした。


1997/8/24
 標本同定会という行事があった。毎年夏休みの終わりに行なっていて、学芸員だけでカバーできない分野については、外部講師に来てもらって、どんな標本でも同定するというものです。標本同定会でたくさん標本が持ち込まれるのは、多い順で昆虫、貝、植物というのが例年のパターン。今年はキノコがやけに多かったのが特徴かもしれない。

 さてこの行事では、鳥をはじめとする脊椎動物は毎年ほとんど標本が持ち込まれない。仕方がないので、ボヤーと椅子に座っていたり、他の分野に持ち込まれた標本を横から覗いたりして一日を過ごすことになる。持ち込まれた脊椎動物の標本(写真を含む)数は、1996年には9件あったのが(哺乳類2件・鳥類1件、両生爬虫類2件、魚類4件)、多めに数えても今年はわずか5件(哺乳類2件・鳥類1件、両生爬虫類1件、魚類1件)。とても退屈でした。
1997/8/21
 ドキドキ子ども自然史ウオッチング学芸員体験コースというのが8月19日から3日間の日程でありました。20名弱の中学生に学芸員の仕事を体験してもらおうというもので、今年で3回目の企画です。2日目の午後を担当することになったので、ドブネズミの皮を剥ぐことにしました。5年くらい前に大阪市立環境科学研究所という所からもらってきたまま冷凍庫に眠っていたドブネズミを、この機会に処理してしまおうというつもりです。一つ心配なのは、子供たちが気持ち悪がって、やらないと言い張ったらどうしようかと少し不安ではありました。

 結果的には心配はまったく杞憂でした。一人に一体ずつドブネズミを配って、実演して見せた後、各自に計測と皮剥ぎをしてもらいました。気持ち悪いだの、臭いだのという声は多数ありましたが、結局全員無事に皮を剥いでくれました。本当に臭いで気持ちが悪くなった子も2人ほどいましたが・・・。大部分の子は、とても上手に皮を剥いで見せてくれましたし、最終日に書いてもらった感想文には必ずドブネズミの皮剥ぎのことが書かれていました。楽しかったという子もいれば、二度とやりたくないという子もいましたが、インパクトだけは間違いなくあったようです。来年もまたやろうかな。
1997/8/8
 自然史博物館には当然空調がありますが、午後5時を過ぎると止まってしまいます。午後5時以降も空調が使える部屋は数えるほどで、管理棟2階の学芸員のいる部屋は含まれていません。夏になると、暖かい空気が2階に溜まるせいもあって、午後5時以降はとても暑くなります。これは近頃と言うよりは、毎年恒例なのですが・・・。
1997/8/6
 8月2日から毎年恒例の特別展が始まりました。今年のタイトルは「海底の動物 -ベントスの世界-」。主な担当者は動物研究室の山西・波戸岡の両学芸員。特別展の解説書も800円で売っています。今年はなぜか解説書の売れ行きが悪く、担当した2人は気にしているようです。できたら買ってあげてください。