自然史関係の本の紹介(2008年上半期分)

【★★★:絶対にお勧め、★★:けっこうお勧め、★:読んでみてもいい、☆:勧めません】

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●「じゃがいものふるさと」山本紀夫著、福音館書店「たくさんのふしぎ」2008年2月号、667円+税
2008/6/27 ★

 著者がアンデスのジャガイモのふるさとに行き、現地の人たちと一緒に約2年間暮らした時の記録。アンデスのジャガイモは、色も形もいろいろ。アンデスの人たちは毎食のようにジャガイモを食べて暮らしているらしい。アンデスの乾燥ジャガイモ、チューニョ。乾期に1週間ほど外に並べておく。夜凍って、昼解けるを繰り返す。やがて、押したら汁が飛び出すようになる。そうなったら足で踏んで、水分を出し、皮をむいて、乾燥させて、できあがり。チューニョの入ってないスープは、愛のない人生のようなものらしい。ジャガイモと同時にアンデスの人々の暮らしも伝わってくる一冊。


●「第三の脳」傳田光洋著、朝日出版社、2007年7月、ISBN978-4-255-00401-3、1500円+税
2008/6/20 ★

 資生堂の研究所に所属する皮膚科学の研究者である著者が、皮膚について思いついたさまざまなことを書き散らした本。皮膚研究に基づいて、我田引水しまくったとでも言おうか。
 第1章は面白い。外に出ていく水分や、外から入ってくる異物に対する皮膚のバリア機能。さらには、免疫機能やさまざまな感覚機能まで、皮膚のさまざまな機能が紹介される。第2章も興味深い。一つ一つの皮膚細胞(ケラチノサイト)はセンサーであると同時に電気的にオンオフ状態を取ることができ、皮膚細胞全体が一つの電気システムである可能性が指摘される。これに基づいて、第3章では皮膚は脳と同等であるという考えが示される。たしかにそのような見方もできるが…、といった感じ。第4章では、皮膚から超能力を考える。東洋医学についても考える。あくまでも科学的なスタンスを保ち、科学的な皮膚研究の延長線上に位置付けようとする。現時点ではスペキュレーションに過ぎないが、興味深くはある。第5章は、心は皮膚の状態に影響を与える。逆も真なりとの主張。まあそうかもしれない。
 で、第6章。進化について語り出す。毛を失って現在の皮膚機能を得て、ヒトはヒトに進化したって主張だろうか。ダーウィンの業績も、進化論の歴史もあまり知らずに書いているように思う。たとえばモノーの『偶然と必然』が最初に自然選択という考え方を提案したかのように書かれてある。進化のメカニズムの話も、そのメカニズムがどのような条件下で働くかという話も、進化の道筋の話も、進化という名のもとに一緒くたになって、話が進む。付いて行くのは難しい。自然淘汰だけでは種以上の高次レベルでの進化は説明できないと思うとした植で、「現代科学の中で進化論の駆動力を説明できるのは、この環境と相互作用するシステムという考え方に基礎を置く、新しい科学ではないかと思います」とくる。どこが新しいんだろう?
 皮膚科学自体については、とても興味深い。超能力と呼ばれる現象や、東洋医学が効くメカニズムが、皮膚科学て解明される可能性はあるかもしれない。進化の話はしなけりゃよかったのに…。同じ著者の別の本を読んだ方がいいかもしれない。そこに進化について書いてなければ。


●「眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎」ダニエル・T・マックス著、紀伊國屋書店、2007年12月、ISBN978-4-314-01034-4、2400円+税
2008/6/13 ★★

 サイエンスライターである著者が、取材に基づいて、プリオン病とその研究者、病気と研究の歴史を紹介した本。タイトルにある眠れない一族とは、遺伝性のプリオン病、致死性家族性不眠症(FFI)を代々発症する一族のこと。一族全員ではないが、中年期に発症。発症したら、やがて眠れなくなり、死に至る。
 話はFFIに始まり、FFIに終わるが、別のプリオン病の方が多く取り上げらる。羊海綿状脳症(いわゆるスクレイピー)に始まり、牛海綿状脳症(BSE)とクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)。パプアニューギニアでみつかったクールー病。むしろスクレイピーとクールー病が話の中心と言ってもいいだろう。
 謎の病に立ち向かう研究者の話として読んだ場合、プリオンの存在をすでに知っている読者からすると、この本は一種の倒叙ミステリとなる。それまでの生物学の常識からありえない感染性のタンパク質。それに気づくまでの道のりは長い。そして、現在においても誰もが認めているとは限らないとは知らなかった。もう一つ知らなかったと言えば、プリオン研究に関わってノーベル賞をとった研究者の、人間性の低劣さ。ノーベル賞をとるような奴にろくな奴はいないと一般化できたりするんだろうか?
 もう一つ驚いたのは、プリオンの活性の強さ。熱でも放射線でもかなり多くの薬品でも活性を失わないとは知らなかった。狂牛病で死んだ牛を廃棄するなんてもったいない。焼いて食べればええやん。と思っていたが、ダメらしい。
 あと、驚きはしなかったが、イギリスもアメリカも、役人は事なかれ主義で、手遅れになってから動き出し。政府は消費者のためではなく、産業界の意向によって動くんだなぁということ。日本も含め万国共通らしい。さらにBSEの牛を食べた時のリスクは、欧米人よりもアジア人の方が遺伝的に高いらしい。ぜったいにアメリカの牛肉を食べるのはやめておこうと思った。
 タンパク質の折り畳み方の異常による病気は他にも多いらしい。アルツハイマー病を始め、自己免疫病と考えられているものまで、研究がすすめばかなり多くの病気の原因がプリオンだったということになるかもしれないという指摘は興味深い。そして、当たり前だが、プリオンの感染には遺伝か肉食が必要。プリオン病を避けるための菜食主義というのが将来一般的になるのかもしれない。それはさておき、一つ気になること。ヒトの間でかつてプリオン病が蔓延した痕跡が認められることから、遠い祖先の何処かでヒトは共食いを行っていたのではないかという指摘がされている。確かに食人は効果的にヒトの間にプリオンを広めるメカニズムに成りうるが、唯一のメカニズムではないのではないかと思う。
 ともかく、情報満載で、さまざまな側面からプリオンを堪能できる一冊。唯一の難点は、プリオン研究はまだすべてが決着していないこと。謎だけが提示されたり、一部の研究者の見解だけが紹介され、充分な説明がなされていないトピックも多い。ちょっと出版が早すぎたのでは?


●「エコロジー講座 森の不思議を解き明かす」日本生態学会編、文一総合出版、2008年4月、ISBN978-4-8299-0135-9、1800円+税
2008/6/16 ★

 責任編集矢原徹一。2008年3月の日本生態学会大会での公開講演会の内容をまとめたものらしい。
 ギャップダイナミクス、木の形の制限要因、森林の水収支、熱帯林が貧栄養の土壌にできるジレンマ、森の4つの共生系、ネズミとドングリの関係、森林昆虫の個体群動態、九大キャンパスの森林再生の試み。といった8つのトピックスが紹介される。それぞれの話題提供者が、自身の講演内容を、写真とシェマを多めにまとめた感じ。
 3月の講演会の内容が4月に本になってるなんて、優秀。なによりそれに関心した。内容自体は、個人的には、知ってるたぐいの話のオンパレードなのであまりどうということはない。でも、こうした話をいままであまり聞いたことがなければ、さまざまな角度から森林を研究している研究者のトピックがながめられるので、面白いかもしれない。
 一つ気になるのは、62ページの上にあるグラフ。北海道でのミズナラの豊凶を示しているのだが。交互に豊凶を繰り返していたりして面白いのだが。少なくとも関西での液果の豊凶とずれている。ずれているならわかるのだが、裏返しになっているように見える。裏返しになっているのか? それとも年の示し方が違うのか??


●「ジャガイモの世界史 歴史を動かした「貧者のパン」」伊藤章治著、中公新書、2008年1月、ISBN978-4-12-101930-1、840円+税
2008/6/9 ★

 南アメリカ原産のジャガイモは、やせた土地でも、さほど手をかけなくても、収穫できる。単位面積当たりの収穫量も多い。そんなジャガイモは、やがて世界に広まった。世界史の中でのジャガイモの貢献を紹介した本。
 舞台は、北海道開拓、インカ帝国、英国支配下のアイルランド、プロイセン・フランス・ロシアの絶対王政のもと、産業革命期のイギリス、第二次世界大戦下のドイツ、社旗主義崩壊時のロシア、そして日本。各地の貧しい人たちが飢えをしのぐのに役立ってきた。敗戦後の日本の食事を支えたのもジャガイモだったとか。ジャガイモの話というよりは、それにかもつけて歴史の話をしている側面がある。圧制者に対する批判的な記述も多い。勉強にはなるが、著者の価値観が強くにじみ出た内容となっている。
 一番勉強になったといえば、2008年は国際ジャガイモ年なのだそうな。それでジャガイモ関連の出版が多いのか。


●「干潟を考える 干潟を遊ぶ」大阪市立自然史博物館・大阪自然史センター編著、東海大学出版会、2008年5月、ISBN978-4-486-01781-3、2500円+税
2008/5/5 ★

 ごく一部とは言え、執筆者に名を連ねているので、紹介しにくい。2000年に開催した干潟の特別展の解説書がベースとなっている。もともとは解説書をそのまま出版する予定だったのが、結局目次から原稿まで、全体的にもう一度書き直すことになった。干潟という環境、そこで暮らす生物、そして人との関わりを解説した本。大阪湾から瀬戸内の干潟をベースにして書かれているが、沖縄の干潟についての記述が弱い以外は、ほぼ日本全国で通用する内容となっているはず。
 干潟の生き物を扱った本は数多い。しかし、単なる図鑑であったり、研究報告であったり。干潟の生物の生態を解説し、干潟での生物観察に本当に役立つ本はあまり見あたらない。干潟の生物観察の予習に絶好の一冊になっていると思う。干潟には数多くの生物が暮らしているが、主立ったものは、取り上げられているので、充分に予習していけば、干潟で出会った生物の大部分の正体はわかるはず。


●「ニワシドリ あずまやを作るふしぎな鳥」鈴木まもる著、福音館書店「たくさんのふしぎ」2008年3月号、2008年3月号、667円+税
2008/4/24 ★

 ニューギニアやオーストラリアに生息するニワシドリ類は、巣とは別に”あずまや”と呼ばれる求愛用の構造物をつくる。このような構造物をつくる鳥は、ニワシドリしかいない。
 19種ほどいるニワシドリ類のすべての姿とあずまやが、少なくとも小さくは紹介されている。内、9種については、大きく紹介されている。この9種であずまやのタイプは網羅されているので、すべてのあずまやの雰囲気がよくわかるといっていいだろう。
 でも、まあそれ以上でもそれ以下でもない。どうしてあずまやを作るかという説明は、結論はぼやかしているものの、いろんな考え方を未整理に並べてある。妙な説明はせずに、形の面白さだけを紹介した方がよかっただろう。


●「ダーウィンの『種の起原』」ジャネット・ブラウン著、ポプラ社、2007年9月、ISBN978-4-591-09913-1、1500円+税
2008/4/8 ★★

 著者は、大著のダーウィンの伝記で知られる、大変有名なダーウィン研究者である、とはじめに訳者が書いている。訳者自身がダーウィン好きで知られる研究者なので、おそらくその通りなのだろう。その著者が、ダーウィンの一生、とくに種の起原の出版にいたる経過と、その後の論争、さらに現在につながるダーウィンの業績の評価について、要領よく、おそらく適切にまとめた一冊。
 ダーウィンの一生、ビーグル号での航海、種の起原の出版に時間がかかったわけ、ウォレスとの関係、種の起原の出版時の状況、その後の論争、現代の総合説が現れるまでのダーウィン理論の位置付けなどについて書かれた本はたくさんある。どれもこれもこまごまと情報もりだくさんで、読むのが大変。著者の意見もさまざまで、誰の言い分が正しいのかさっぱりわからない。そんな中において、これほど簡潔にまとめられた本は他にないんじゃないかと思う。詳細は省かれているのかもしれないが、要点は押さえられている様子。当時のイギリスや欧米の社会情勢をふまえての説明はとてもわかりやすい。中立的立場を保とうとする著者のスタンスも好感が持てる。ダーウィン入門にはお薦めの一冊。


●「苔と歩く」田中美穂著、WAVE出版、2007年10月、ISBN978-4-87290-320-1、1600円+税
2008/4/3 ★★

 古本屋主人であり、苔大好き人間の著者が、苔のディープな世界の一端を紹介してくれる。とはいっても、小難しい研究ではない。幻の苔を求めて秘境をさまようわけでもない。基本は家のまわりをウロウロしてるだけ。しかし、そこにさまざまな苔の世界が拡がっているのである。
 コケというと、きれいだし、あちこちにあるので、妙に惹かれる。だが、図鑑をながめても種類がわからない。同定には、切片を切って顕微鏡観察。という具合に、敷居が高く、種類もわからないと興味が続かないので、やがてじっくりと観察することもなく。出会っても見ない振りをすることが多い。しかし、この本はなかなかやってくれる。家のまわりを散歩するだけでも、ここにもあそこにもこんなに綺麗なコケがいるということを、伊沢正名氏の美しい写真と、著者の愉快な行動(イラスト付き)で楽しく紹介してくれる。これだけでも、道を歩く時にちょっとコケに注意を払ってみようかと思ってしまう。それでいて、コケ観察に必要な道具、図鑑の紹介、コケの採集と標本の作り方・整理法と、コケ研究にもつながる必要な情報はきちんと紹介される。
 なにより楽しいのは、苔を愛する著者の奇行。友人宅に遊びに行ったら、家の周りの苔を見て回って、写真を撮って、採集、あとから玄関先の苔の名前を教えてあげる。苔の啓蒙大作戦と称して、乾燥したスナゴケ、石と砂などからなる蒔きゴケキットを友人に送りつける。なんて変人なんだろう〜。
 とまあ、コケに興味がなくても楽しい一冊。コケの普及には、かなり強力アイテムと思われるので、仲間を増やしたいコケ屋は、友人に送りつけるべし。


●「プラントハンター」白幡洋三郎著、講談社学術文庫、2005年11月、ISBN4-06-159735-3、1050円+税
2008/2/22 ★

 哺乳類や鳥類の狩猟よろしく、各地に出かけていって植物を採集する者をプラントハンターと呼ぶらしい。単なる植物採集ではなく、職業的に、大量の植物を、あるいは有用・珍奇な植物を狙うところが動物を狙うハンターに似ているかららしい。17世紀のイギリスに端を発し、17〜18世紀のヨーロッパの園芸熱をささて、そして19世紀には世界をまたにかけて植物を採集しまくったプラントハンター列伝。とくに幕末から明治初期の日本にやってきたプラントハンターには多くの紙面がさかれている。
 ヨーロッパの園芸熱と新しい植物への飽くなき要求には恐れ入る。17世紀から世界にプラントハンターを派遣しまくっていたキュー植物園、それに負けじと派遣しまくったリー・アンド・ケネディ商会やヴィーチ商会。18世紀から延々と出版されている園芸雑誌。
 幕末や明治初期に日本にやってきたプラントハンターたちの記録の中の日本の様子はとても興味深い。プラントハンターを軸に18〜19世紀の世界をかいま見せてくれる。とはいえ、たくさんの資料に基づいて詳しく紹介してくれているのはいいけど、それ以上でもそれ以下でもない感じ。


●「集めて楽しむ昆虫コレクション」安田守著、山と渓谷社、2007年8月、ISBN978-4-635-06326-5、1800円+税
2008/2/19 ★

 見開き2ページに1テーマ。約45のテーマが、美しいカラー写真によって展開される。そして設定されているテーマが一風変わっていて面白い。
 テーマはいくつかのパターンに分けられそう。キブシ、ノイバラ、ノリウツギ、秋の花、樹液など特定の場に集まる虫のコレクション。各種の卵、イモムシ、フン、蛹、抜け殻、繭、ミノなどのコレクション。オトシブミ、冬虫夏草、フン虫などのコレクション。アリジゴク、ゴキブリ、冬尺蛾、コブハサミムシなどお気に入りの虫を紹介している場合もある。なかでも面白いのは、ほぼ一生集めと題して紹介されているコレクション。ナナフシモドキが一生の間に食べたサクラの葉81枚のコレクション、ナナフシモドキの一生分のフン5094粒、ナナフシモドキが一生の間に生んだ卵236個。どれだけナナフシモドキが好きなんだろうというくらい、念入りに集めて、それをずらっと並べている。
 個人的にお気に入りは、寄生生活のページ。イワツバメシラミバエも捨てがたいのだが、一押しは花でハチがやってくるのを待っているマルクビツチハンミョウの一齢幼虫。そして、スズメバチの腹部のすき間から頭だけを出しているスズメバチネジレバネのメス。今度、スズメバチを見つけたら探してみよう。


●「ウナギ 地球環境を語る魚」井田徹治著、岩波新書、2007年8月、ISBN978-4-00-431090-7、740円+税
2008/2/15 ★★

 サイエンスライターである著者が、ウナギの生態とくに産卵場所の謎、養殖技術の進歩、個体数減少の現状について紹介し、ウナギを通じて日本や世界の環境問題について考える。
 第1章で海と川を行き来するウナギの生態を紹介した後、第2章では、ヨーロッパのそして日本のウナギの産卵場所を探す研究の歴史を紹介。海はまだまだ謎だらけなんだということがよくわかる。第3章では、ウナギの養殖技術研究の紹介。卵からシラスウナギまでに育てる難しさがよくわかる。第4章ではヨーロッパの、第5章では日本のウナギの減少が紹介される。危機的な状況がよくわかる。そして第6章、日本人が世界のウナギを絶滅に導きつつあることがよくわかる。
 この本を読むと、ウナギを食べるのをやめようかと思う。少なくとも中国産ウナギを食べるのはやめよう。必ずしもあやしい薬品の混入を疑っているからではなく、ヨーロッパのウナギを守るために。そして、日本のウナギも特別な時だけに食べることにしようと思う。日本のウナギが増えて、心置きなくウナギが食べられるようになることを願って止まない。
 さて、そんなウナギを守るにはどうしたらいいか。過度のシラスウナギの捕獲を即刻止めるべきなのは言うまでもない。さらにウナギが暮らせる環境を守り、復活させる必要もある。河口干潟、河川の連続性、上流部の里山環境、さらには海の底、海山の環境までも守らないとウナギは暮らしていけない。ウナギを旗印にすれば、日本の危機的な環境のかなりの部分がカバーされるように思う。
 そんなウナギの話と合わせて、一番印象に残ったのは、海山環境の重要性と、そこを破壊しています深海トロール漁の問題。深海トロールに関しては、もっと多くの人が大きな声をあげるべきなんじゃないだろうか?


●「ツチノコ 幻の珍獣とされた日本固有の鎖蛇の記録」木乃倉茂著、碧天舎、2004年6月、ISBN4-88346-658-2、1000円+税
2008/2/13 ☆

 昭和十七年、長野県で謎の蛇が捕獲された。これは、その蛇を約一年間にわたって飼育した観察記録である。戦災で標本は失われ、残されたのは手記のみ。祖父が残した手記をできるだけ忠実に紹介する。
 という趣向。小説によくあるパターン。こういう設定は嫌いではない。だが、最初は手記を載せてる体なのが、第2章の4節でこの設定はすぐに破綻してしまう。「木乃倉は…と名づけている」といった伝聞調になってしまうのだ。この本は他にも設定の一貫性が保たれていない部分があり、興ざめすること著しい。もう少し丁寧につくってほしいものだ。
 ヘビの専門家筋から見た破綻については、(財)日本蛇族学術研究所のスタッフによるブログ「蛇研裏話」(http://blog5.fc2.com/urabanashi/)に、2005年8〜9月にわたって、ちみさんが書かれているので参考にされたい。要は、問題の蛇についての図には、実際のヘビを見て書いたとは思えない特徴が多く、複数の図の間でも矛盾が見られるという指摘である。とても面白いので、尻馬にのっていくつか確認してみよう。たとえば図4の背面図では目と目の間にある感熱器官が、図6の正面図では鼻先にある。そもそも図4と図6では頭部の鱗の配置・数がまるで違っている。図16の解剖図にはなぜか生殖器官がない。図17の骨格の側面図では肋骨は片側34本、図18の骨格の背面図では肋骨は片側31本、骨格標本の写真では36本。体鱗列数や頭部の鱗の配置にも問題があるらしい。
 そもそも唯一載っているそのヘビの生きていた時の写真というのが、どうみても粗いつくりの模型にしか見えない。ふつうに判断すれば、『鼻行類』と同じようなお遊びなのだろう。ただし、すでに指摘されているように、あまり丁寧に仕組まれているとは言えず、作品としての出来は悪い。
 さて、仮にここで紹介されているような謎のヘビが実際に捕獲されたと考えてみよう。本当に著者の祖父が約一年にわたって飼育して、骨格標本を作製したとしてみよう。確かに完全に地中性で、そして夜行性で、その上生息数が極めて少ないor分布が極限されているのなら、今まで見つかっていないヘビがいる可能性もないわけではないかもしれない。そこで明らかなのは、著者の祖父の研究者としての能力の低さ以外に他ならない。一方、著者の祖父がいい加減な記録しか残さなかったと考えたなら、図や記述にいくら破綻がみられても、それは謎のヘビの実在を否定するものではなくなる。かくして謎のヘビの実在性は藪の中。


●「系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに」三中信宏著、講談社現代新書、2006年7月、ISBN4-06-149849-5、780円+税
2008/2/13 ★

 著者は、体系学という独特の言い方を好む。体系学(systematics)とは、現在と過去に存在したさまざまな生物をある基準や規則に則って整理する学問。で、その中には、生物間の類似性に基づいてグルーピングする分類学(taxonomy)と、生物がたどってきた系統発生に則って体系化しようとする系統学(phylogenetics)が含まれる。分類学の基盤には群に関する分類思考があり、系統学の基盤には系統樹思考があるとして、分類思考と系統樹思考を対置してみせる。現在における類似性のみを問題にする分類思考と、由来を問題にする系統樹思考。われわれは分類思考者であると同時に、系統樹思考者であることを、生物の系統樹に限らず、さまざまな分野において系統樹が考えられてきたことから例証していく。
 この本のもう一つの大きな柱は、科学としての歴史の系譜。そして、歴史科学における推論様式であるアブダクション(あるいはモデル選択など)の紹介。歴史科学では、真偽判定をしない。しかし、経験的データに基づいて、モデル選択を行い、一番もっともらしい説明を選ぶ。この手法は、統計検定に慣れている者にとっては、ごく日常的に行っていること。いや、統計検定を知らなくても、誰もが日常的に行っている。それが、帰納でも演繹でもない第三の推論様式だ、と言われたのが一番新鮮であった。
 そんなに目新しいすごいことは書いてないけど、興味深く読み進めることができる。著者の考えていることの一端がようやくわかった気がする。でも、読み通した人は著者自身だけではないかという噂の『生物系統学』との間には、まだ深い深淵が横たわっているように思う。
 分類思考と系統樹思考の対置は、なんとなくわかるものの世の中に存在個物を理解する思考には、他のタイプもあるんじゃなかろうか、という気が強くした。現在見られる個物自体の類似性に基づく分類思考、現在の個物の背後にある過去、由来を問題にする系統樹思考。たとえばその他の思考様式として、現在の個物間の関係性に注目するいわばネットワーク思考。関係性の中には歴史性を取り込むこともできるが、現在だけに限ることもできる。ネットワーク思考の方が、系統樹思考よりも汎用性が高くない?

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