海と山のステッピングストーン
(対馬紀行2001)
2001年6月25日〜28日

目次

●対馬といえば(010625)
●対馬ブーム(010625)
●クロヒメハナノミ(010625)
●梅雨の空を見上げて(010626)
●「ヤマネコのすむ島」(010626-27)
●早め早めのトラップ準備(010627)
●カブリモドキ(010628)
●対馬=海と山のステッピングストーン=の魅力(010628)
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●おまけ「もうひとつのステッピングストーン」(010707)

対馬関連の文献と書評

●対馬といえば(010625)

 それは私が小学4年生のときだった.汾謳カがクラス担任だったから間違いない.ちょうど秋ぐらいだったかもしれない.

 社会科(地理)の授業の中で,その汾謳カが「日本の島の名前をいいましょう」と問いを出された.クラスメートたちは,自分の知っている島の名前を次々と答えていった.「淡路島」,「佐渡ケ島」,「八丈島」・・・・.滋賀県の小学校だったので,「竹生島(ちくぶしま:琵琶湖の中の島)」とかいう答えもあったかもしれない.先生は児童たちの答えを次々に板書していかれた.

 いくつか答えが出たのち,あるクラスメートが答えた.「ツシマ〜.」

 ところが,「はい,ツシマね」と受け答えた先生は,黒板に何と「対島」と書いてしまったのだ.私は本心では,「先生,字がちゃいますよ〜」とツッコミを入れたかったが,みんなはいつもになく,妙にお利口さんの授業態度.先生もいつもとジャージとは違って,珍しくボタンのついた服を着ておられる.実はその日は参観日で,父兄がたくさん授業の様子を見に来られていたのだ.

 その後も,他のクラスメートらが挙手して島の名前を挙げていくが,僕はいつ手をあげて,その間違いを先生に伝えようか,そればかり考えていた.そうこうしているうちに,チャイムがなって授業が終わってしまった.一同が終業の礼をして休み時間に入ったときにも,結局はそれを先生に言いに行くことはしなかった.「対島」と書かれた文字が黒板に残っていた.

 あのころは後で,このことを授業中に指摘していたら,クラスメートはもちろん,父兄から尊敬されていたかも?,などと,ひとり悔やんでいたが,今では,もしそんなことをしていたら,先生が父兄を前に恥をかいて格好悪い思いをされたことだろう,などと考えてしまう.私も大人になったものだ.

 それにしても,対馬で「ツシマ」とは読みにくい.

 日浦勇さんの著作に「ヤマネコのすむ島」というのがある.九州と朝鮮半島に踏み石(ステッピング・ストーン)のように位置している対馬について,博物館やそれをとりまく人たちとの出来事や,自らの現地滞在体験などに基づき,その生物地理学的なアイディアを綴った連載の著作である.1978年9月に途中で休載になり,その5年後に氏が死去して,未完のまま終了している.(日高敏隆編,「蝶 分布と系統−日浦勇選集−」(蒼樹書房)に再録されているが,たしかすでに絶版?).

 今になって知ったのは,この「ヤマネコのすむ島」が休載になったとき,どうやら私は小学4年生で,まさしくこの「対島」事件のあった前後である.私はそのころは,プラネタリウムで有名な四ツ橋の大阪市立電気科学館のことは知っていて,何度か足を運んだことがあったが,長居の大阪市立自然史博物館なぞ,名前も存在も,まったく知らなかった.昆虫大好き少年だったにも関わらずである.

 私にとっては,対馬に初めて足を踏み入れて,これから述べるような新たな認識を持つまでは,「対馬」と聞いてまず思い出すことといえば,ヤマネコでもなければヘリビロトゲハムシでもなかった.この小学4年生の時の,この「対島」事件のことである.

●対馬ブーム

 そもそも今回,対馬に行こうと思ったのは,日浦さんのこのノンフィクションに感化されたわけでも,にわかに日本列島の生物相の解明に強い問題意識を持ちはじめたからでもない.対馬では一度ぜひ調査してみたいとは思っていたが,この時期に実際に足を踏み入れようと思った直接的なきっかけは,単に身近で「流行」していて,乗り遅れたくなかったからかもしれない.

 実はいま,博物館は「対馬ブーム」である.これは友の会の年中行事「合宿」の行き先(8月半ばに2泊3日の予定)で,同僚たちが世話役として関わっていることが最大であるが,その他にも,大阪市の学芸員らによる朝鮮半島の総合研究というのが始まっていて(昨年10月に訪韓:こちらに関連記事),朝鮮半島や対馬の自然史を扱った展示会もやろうかという話も持ち上がっている.さらには日韓共同開催のワールドカップ・サッカーも来年に予定されており,開催が間近だ.

 当館総勢16人の学芸員のうち,私を含めて半数以上が,この1年間に入れ替わり立ち替わり対馬や朝鮮半島を訪れることになっている.

●クロヒメハナノミ

 いくらブームとはいっても,夏の特別展解説書の執筆ヤマ場となる,この忙しい時期に対馬へ来るのには強い理由があった.ハナノミ科のクロヒメハナノミ属(Mordellistena)について調査したかったからである.

 このグループは世界中に広く分布しているが,属の概念の混乱もあり,間違いなく多くの種が分布しているのは旧北区(ユーラシアやアフリカ北部)である.カミキリムシと同様,幼虫期に木本の枯れ枝に潜るものが多いといわれる中で,このクロヒメハナノミ属はキク科やセリ科などの草本に潜ることが知られているグループである.

 この仲間については,ドイツ(旧・東独)のK.エルミッシュが欧州はもちろん,モンゴルなどでも分類研究を手がけており,多数の種を記載・発表している.私は大学院時代に北海道では7種が分布していることを調べ,1994年に一部を公表した.今年になって近畿あたりでのデータを精力的に取っているところであるが,現時点では北海道と同じ数ぐらいはいるらしい.

 エルミッシュのタイプ標本も,1999年にドイツで見てきた(関連はこちら).草原性の種類ということで,大陸にもっとも近いこの対馬に,何か面白い種類がいるに違いないと見込んでいるのである.

●梅雨の空を見上げて

 対馬に来るにあたって,本音を言えば,大阪からフェリーを使いたかった.どれぐらいの距離があるのか,実感できるからだ.1992年に台湾に行ったときには,北海道からすべてフェリーを利用した.当時は学生だったから,時間を気にせず,何でもできたかもしれない.途中に佐渡島や屋久島,トカラ列島の街灯りが見え,地図をながめながら,地理感覚を養うことができた.

 しかし今の私には,梅雨の不安定なこの時期に,たったの3日間しか自由に使える時間はない.できるだけ早く対馬へたどり着く方法をとらざるを得なかった.月曜日の勤務,すなわち定例の学芸会議の終了後,関西空港からの福岡行きの最終便に乗り,一泊の後,福岡空港から対馬空港行きの第1便に乗ることにした.朝の8時半には対馬へ足を踏み入れることができた.

 梅雨の頃の天気予報ほど当てにできるものはなく,あさって以降の天気予報はどこも,「曇り時々雨,降水確率30〜50%」である.晴れることもあれば,豪雨のこともあるのが実際だろう.

 今回の場合,対馬へ最も早く着く手段を講じてよかった.島内最大の市街地,厳原の背後にそびえる有明山へ向かっているときには,降水確率が高かったにも関わらず,曇りがちながらも晴れ間がさし,雨上がりの林道にはハンミョウ(本土のナミハンミョウと同種同亜種とされているが,斑紋が若干異なる?)がフワリと飛んだり降りたりしており,水たまりにはミヤマカラスアゲハがたくさん吸水にきている.貴重なサンプリングの時間となった.

有明山中腹から北方を望む

ハンミョウ Cicindela chinensis

 上見坂(かみさか)の展望台からは,複雑な地形が海と山の入り組んだ美しい景観を見渡すことができる.はるか遠くに見える山は朝鮮半島か,それとも九州か,と思ったが,方角からすると島内北部の山のようだ.屋久島の時と同様,島という思いこみは捨てなければならない.とても広い島だ.

 しかし,午後からは次第に雲がひろがり,午後3時頃から激しく雨が降り出した.カブリモドキをねらったベイトトラップは,大雨にびしょびしょに濡れながら仕掛けることになってしまった.

●「ヤマネコのすむ島」

 夕食と標本整理がおわり,夜が更け始めたときに,日浦勇氏の「ヤマネコのすむ島」をこの島で読んだ.大学院生ぐらいのときにも読んだことがある(はずだ)が,それまでは集落の位置関係などが全くよくわからなかった.今では覚えたばかり地名が出てくるので,たいへんイメージがしやすい.また,登場人物も前館長のMさん,保健所勤務のTさん,眼鏡屋経営のKさんなど,日頃からつきあいがあって,キャラクターをよく存じ上げている人たちばかりで,こちらもイメージがしやすい.時間を忘れて読みふけってしまった.

 朝には雨は止んでいた.峰町の宿舎の裏山に仕掛けたトラップは,ツシマオサムシは入ったものの,念願のカブリモドキは入らなかった.

ツシマオサムシ

 旅館には連泊を頼んでいたので,大きな荷物は部屋へおいて,最低限の調査道具で北へむけて出発した.目的地は草原環境があるという千俵蒔山(せんびょうまきやま)である.出発前日に眼鏡屋経営のKさん(前出)から,対馬訪問にあたってのレクチャーを受け,氏の書き込みのある資料の一切合切を借りてきたのだが,そのときから,今回の目的の草原性ハナノミを採るのはここだと決めていた.

 短い登山の途中に,ようやくツシママダラテントウがネットに入った.大陸に産し,日本では対馬だけにしかいない種類である.ウリ科につくというから,昨日から畑ばかりをさがしていたが,どうやら林にすむものらしい(注:片倉晴雄(1994)によれば,ウリ科ではなく,ヘクソカズラにつくとのこと).実は,このマダラテントウの生きた姿に接するのは今回が初めてではなく,1997年初夏に中国陜西省で出会っている.対馬のものは分類上,中国のものの亜種として扱われている.

ツシママダラテントウ

 しばらく上っていくうちに,やがて視界が開けていき,草原環境が目の前に広がる.北側の海岸線が見えるところまで上がってみる.ここからは天気のよい日は韓国が見えるというが,この日は風がたいへん強く,西から東へ雲が足早に流れていくので,残念ながら韓国が見えるという感じではなかった.でも,それなりに国境の土地であることを実感できた.

千俵蒔山の風景

千俵蒔山に多いツシマフトギス

 Kさんの紹介がズバリと当たり,目的とするクロヒメハナノミ類はおよそ100頭,肉眼でも4種は認められる大収穫であった.交尾器まできちんと調べたら,いったい何種になるのかわからないが,この中に九州以東にはいない大陸性のものが入っていると面白いのだ. 
カプリソテントウ

 その西側の棹崎で,同じくテントウムシ科のカプリソテントウがたくさん見られた.中国大陸・東南アジア・朝鮮半島のほか,日本では南西諸島と対馬にしか分布しない不思議なテントウムシである.ナミテントウ(二紋型)によく似たもようをもっているが,まん丸の赤いもようがやや離れており,上翅の縁がやや出張っていることで明らかに区別ができる.対馬では比較的,普通種らしい.

●早めは早めのトラップ準備

 宿舎にはいったん4時に帰ってきた.紙コップを埋めてエサでおびきよせる「ベイトトラップ」をしかけるためである.前日のリベンジを果たして,ぜひカブリモドキを見てみたい.近所で紙コップを買い足し,すこし気合いを入れて,トラップをしかけることにした.

 ベイトトラップをしかけたあとは,ブラックライトを用いたライトトラップの準備である.雑木林の谷川ぞいでよさそうな場所を見つくろった.日暮れが近い時間になってきたので,白幕を張り,電源を入れた.そして,再びその場を離れた.別の場所で再び,ベイトトラップをしかけにいくためである.

ツシマヒラタクワガタ(メス)

クロコガネの一種

チョウセンクロコガネかな?

 大阪あたりよりも少し遅い時間になって,ようやく暗くなってきた.クロコガネが飛んできたが,これはチョウセンクロコガネだろうか? スジコガネが飛んできたが,これはチョウセンスジコガネだろうか? 別の街灯にヒラタクワガタの♀が飛んできたが,これはチョウセンヒラタクワガタか?それともツシマヒラタクワガタか? 全体として,あまり個体数は来なかったが,朝鮮半島のすぐ近くに位置するこの対馬でのライトトラップは,関西あたりでは普通に見られるような種類でも,もしかしてこれは「朝鮮半島もの,あるいはツシマもの」ではないだろうかと,わくわくしながら,ブラックライトに照らされた白幕を見つめることになった.

 ライトトラップから宿舎への帰途,ゲンジボタルの幻想的な乱舞に魅せられた.宿に帰り,女将さんに遅い夕食の準備をしてもらった.焼きサザエや対州ソバは,対馬に来たことを実感させてくれる味であった.

●カブリモドキ

 翌朝,さっそく気合いをいれてかけたトラップを回収に出かけた.直線上にならべて埋めたコップを,どきどきしながら見てまわる.

 コホソクビゴミムシ,ツシマオサムシ,カマドウマ,コホソクビゴミムシ,スジアオゴミムシ,ん?スナハラゴミムシ,ツシマオサムシ,からっぽ,うわぁ,でっかいミミズ,ツシマオサムシ,コホソクビゴミムシ,コホソクビゴミムシ・・・・・.

 「おぉ,ツシマカブリモドキや」.

ツシマカブリモドキ.対馬固有種.近縁な種類は韓国のアオカブリモドキ.

 思わず声にだして,つぶやいてしまった.ついにトラップにかかった.ほんまにおるんや.ようやく大陸の匂いを嗅ぐことができた.

 その日は脊梁山脈(といっても,大して高くはない)を越え,日本海側(つまり東海岸)へ出てみた.厳原などの南部の町も日本海側だが,島の北部の日本海側には,まだどこにも行っていなかった.大イチョウのある琴(きん)の集落近くの海岸の林で,ニイニイゼミが鳴いている.そういえば,この島にはチョウセンケナガニイニイがいるんだったなぁ.でも,あれは晩秋のセミやから,成虫は今は絶対にいないけど,せめてぬけがらぐらいは見つからんかなぁ.

 そうこうしているうちに,この日の最終便の飛行機で島を離れることになってしまった.もう少し調べたかったのが本音であるが,いたしかたない.琴(きん)の集落から対馬空港へ戻るだけでも,地図を見る限り,いくつか曲がりくねった道や峠道を超えなければならないようで,空港に着いた頃には,すぐに出発しなければならない時間になってしまった.やはり,また来てみたい.でも,実際に次に来られるのは,いったい何時のことだろうか・・・・・?

●対馬=海と山のステッピングストーン=の魅力

 出発前,対馬の情報を得ようとガイドブックをさがしたが,ろくなものはなかった.実際に行ってみて,その理由がわかった.一般的な観光として,見るべきものは決して多くはないからだ.

 対馬は観光ズレしておらず,実に心地がいい.滞在した時期が6月下旬のたった3日間であったが,もしこれが8月などの観光シーズンであっても,島の人たちは鼻息荒く,稼ぎ魔に豹変するようには思えない.あまりにも親切すぎるのだ.買い物をしても,端数をまけてくれる.この悠長な時間の流れ方は,1992年に一度だけ訪れたことのある西表島に似ているように感じた.西表島では当時,導入されたばかり消費税分をまけてくれた.62円切手を買ったのに,「60円でいいよ」と言われた.

 対馬のこの悠長な雰囲気を,単なる「田舎の島」で済ませたくないと思ってしまうのが,対馬が対馬であるゆえんであろう.しかし,歴史的な視点でどのように解釈すべきなのか,私には答えが見つかっていない.古代の大陸文化伝来期,元寇,豊臣秀吉の朝鮮出兵,江戸時代の朝鮮通信使,日露戦争・・・・.飛行機時代が来る前には,常に国際的な表舞台になっていたに違いないこの地の人たちは,いったいなぜ,これほどまでに穏やかなのだろうか.歴史や民族のはざまに立ち,様々な紛争を通して,人間の愚かさのすべてを悟った境地なのだろうか.

 一方,自然の面においても,単なる「田舎の島」では済まない.「国境の島」「大陸要素の入る島」など,今さらながら使い古された言葉を使う必要もなく,この島は非常に面白い.亜熱帯の沖縄や亜寒帯の北海道に,関西あたりとまったく違った生き物(昆虫)がいるのは当然のことだが,対馬には温帯でありながら,別の要素(=大陸)の生き物(昆虫)がいるのである.

 一歩で渡れない川を跳び越えるとき,踏み石をさがす.できるだけ平らなほうが踏みやすい.しかし,朝鮮半島から日本に渡ってくるときの踏み石である対馬は,平らではない.海と山が入り組んでいて,ゴツゴツである.もし私が大巨人で,朝鮮半島から日本列島へ渡ろうとするとき,対馬はあまり踏み石に選びたくないタイプの島だろう.そのためか,島を南北につなぐ主要幹線道路でさえ,道はクネクネと曲がり,トンネル工事や道路の拡幅工事が随所で行われている.実際の距離以上にたいへん広い島である.

 しかし,そのゴツゴツが島内にいろんな環境を作り出し,人による開発を困難にし,そして結果的にヤマネコをはじめとする島の自然の多様性を守ってきたのかもしれない.対馬は海と山の入り組んだ,ゴツゴツの踏み石でよかったのだ.そして,自然も人もそのままで,これからも独自の時間軸で流れていってほしい.

 僕はまた,この島にその時間の流れを楽しみに行きたいと思っている.(おわり)

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●おまけ「もうひとつのステッピングストーン」

 対馬から関西へ帰ったすぐ翌週,福岡で博物館関係のシンポジウムに出席せねばならないことになっていた.公用・私用でたいへん忙しく,本音では参加にあまり乗り気ではなかったが,7月上旬というハナノミの採集には最適のシーズンなので,研究資料のサンプル収集のためと割り切って(?)参加することにした.

 シンポの開かれた福岡での2日間は,カミナリがゴロゴロとなる不安定な天候で,雨がしとしと降っている.でも,福岡の天気はまだましなほうで,熊本や鹿児島では大雨でひどいことになっているようだ.

 上述のとおり,今は草原性のハナノミを精力的に調べているので,熊本の阿蘇山あたりに行ってみようと思っていたのだが,九州は南ほど雨がひどいらしい.シンポジウム,施設見学などのデューティーを終えた後に,とりあえず博多駅まで行ってみたところ,鹿児島方面の特急列車は鹿児島まで無事に辿り着かない見込みとの放送が流されている.活発な梅雨前線は九州中部に横たわっており,北方面のほうが天気がよさそうなので,北へ向かうことにした.

 博多の北,つまり壱岐である.朝鮮半島からみれば,九州本土へのホップ・ステップ・ジャンプのうちの,まさしく「ステップ」となる島である.

 今度は博多の港から,念願の船で旅立った.といっても,ジェットフォイルという高速船で,壱岐の芦辺港までわずか1時間ほどである.海の中道や志賀島を通り過ぎたあとでも,天候が悪いにも関わらず,だいたい何らかの島影は見えている.船で渡ってきた人たちはこれらの島影を頼りに,ときには上陸しながら,この玄界灘を渡ってきたのだろうと実感する.

 船内にアナウンスが入り,まもなく壱岐に到着するという.眼前の大きな島が壱岐である.

壱岐の島影

 芦辺港に到着すると,宿の人が迎えに来てくれていた.すぐに車に乗り込んだ.

 壱岐という島は対馬に比べて,地形的に実に穏やかな島であると思った.海岸には白砂青松の美しい砂浜が広がり,山という山がなく,丘の上の森と田畑がずっと広がるだけである.オオヒョウタンゴミムシがいないかと海岸でトラップを試みるが,翌朝に回収してみても,残念ながら掛かったものはわずかであった.

 島についたときに,芦辺から宿のある島の最南端まで走ったが,地図を見てみると,どうやら大して広い島ではないようだ.島の真ん中に高い島があるかと思ったが,司馬遼太郎が「カレーライスの皿を伏せたような」と表現したように,非常に平坦な島である.

 たった1日しかないので,草原性のハナノミをサンプリングするだけで,すぐにジェットフォイルの出発の時間になってしまった.

 博多へ帰るジェットフォイルの中で,司馬遼太郎の「壱岐・対馬の道」を読んだ.さまざまな文化が大陸から朝鮮半島を通して,日本へ流れてきた道は,明らかにこの道であり,その人々はこの同じ景色を眺めていたのだと思うと,何か感慨深いものがこみ上げてきた.時には激しく荒れる玄界灘を,これらの島影を眺めながら,手漕ぎでこの玄界灘を渡った人々の姿を思い描いた.文明の生み出した優れた船に乗っている自分が,何だか恥ずかしく思った.

 後世に名も残さず,この波間に埋もれてしまった偉い人は,きっとたくさんいるに違いない.

玄界灘から見た九州本土


対馬関連の文献と書評

●日浦勇1977−78.ヤマネコのすむ島.日高敏隆編「蝶 分布と系統−日浦勇選集−」:343−431.蒼樹書房.(大陸との間にある対馬の生物地理学的位置と,チョウなどのデータに基づいたアイディアを,発想に至った小さな出来事から壮大に綴った好著.尻切れ蜻蛉になっているのは残念だが,氏自身が記しているようにアイディアの限界であり,やむを得ない気もする.今回のHPの小エッセイを綴る際の最大のバックボーンとなっている.)

●司馬遼太郎1975.壱岐・対馬の道.街道をゆく13.朝日文庫.244pp.(対馬に行くにあたり,この地に朝鮮文化の香りを求めたかった.いろいろ本を探した.しかし,それが難しいことを諭してくれたのが,この本.でも,奥底に潜む日本と朝鮮の,対馬を通した幅広い交流と共通性を教えてくれたのも,この本だった.)

●長崎県生物学会(編)1976.対馬の生物.(対馬の生物相を知る上で欠かせない.本当は対馬へ持っていきたかったが,重いのでやめた.)

●月刊むし117号.1980.−対馬の昆虫特集号−.(上述の「対馬の生物」のうち,昆虫部分について,その後のデータなども交えて詳細に記されている.)

●浦田明夫・国分英俊1999.対馬の自然−対馬の自然と生きものたち−.対馬の自然誌III.杉屋書店(厳原).192pp.(カラーの生態写真が豊富でよい.昆虫部分は多くはなく,内容的にやや偏りあり.)

●浦田明夫1993.対馬の野生たち 国境の島に生きる.対馬の自然誌I.対馬生物研究会.195pp.(カラー写真がほとんどないが,こちらは昆虫部分の解説が豊富.)