ドイツのしやけ箱

1999年2月20日〜3月28日の旅行記

S. Shiyake in Europe
本ページは欧州訪問中に現地から直接レポートしていたものです.
ご意見はshiyake@mus-nh.city.osaka.jp まで.

[CONTENTS]

[プロローグ Prologue]
出発に先だって(990217)
カミキリ屋じゃなくてよかった(990220)
ずっと昼間(990221)

[ロンドンのしやけ箱 S. Shiyake in London]
ロンドンに到着(990221)
さっそくNHMへ(990222)
アリの巣に迷う(990223)
百聞は一見に如かず(990224)
スパインの雨はプライン(平野)に降る(990225)
ドイツゴキブリ?(990228)
落胆と驚喜(990302)
開かれたライブラリー:文献さがしも一苦労(990305)

[パリのしやけ箱 S. Shiyake in Paris]
パリの関西人(990307)
国立自然史博物館の広さ(990308)
キツツキさん(990310)
La Coccinelle(990312)

[ドイツのしやけ箱 S. Shiyake in Germany]
ドレスデンに到着(990314)
エルベ川のフィレンツェ(990314)
あこがれのK. Ermischコレクション(990316)
ほな(990316)
ドイツのドイツ箱(990317)
ドイツのドイツ箱(その2)(990318)
「うどん」と「おにぎり」(990321)
早起きは三紋の得?(990325)
早起きは三紋の得?(その2)(990326)

[エピローグ Epilogue]
またもや飛行機の中から(990327)
欧州の博物館と日本の博物館(990327)

 


●出発に先だって(990217)

 博物館の学芸員にとって,研究活動は博物館活動のベースである.

 ヨーロッパは博物館そのものの歴史も非常に長く,研究はもちろん,展示や普及などあらゆる面で先進であるといえる.とりわけ,ロンドンには世界に名だたる大英博物館(British Museum)もあり,博物館に勤める者としてはぜひ一度訪れて,いろいろなものを吸収したいところである.

 昆虫学の分野では,19世紀に欧米からたくさんの昆虫研究者が日本を訪れ,研究資料として持ち帰っている.それらが「タイプ標本」としてヨーロッパやアメリカの大きな博物館に収められているため,日本の昆虫の種類を研究する時にはどうしてもそれらの博物館を訪れて,標本を研究しなけらば前に進まないのである.

 私自身が研究しているハナノミ科についても,ドイツのK. Ermischが研究した標本の収められているドレスデン動物学博物館など,ヨーロッパの博物館にある標本を見ずしては研究が前に進まない部分が非常に多くあり,いずれにせよ遠からず訪れる必要があると感じていた.

 折しも,東京にある藤原ナチュラルヒストリー振興財団に申請していた研究費が採択され,所属先の大阪市教育委員会の許可も得て,晴れて海外出張として,この希望がかなえらえることとなった.

 5週間のヨーロッパ生活.私の人生にとっては,この上ない経験となるのであろう.期待と不安を胸に,2月21日早朝にルフトハンザ機で関西空港を発つ.中継地のフランクフルト(a/M)を経て,最初の滞在地はロンドンである.

●カミキリ屋じゃなくてよかった(990220)

 私が海外へ行くときの姿は,外見上はいつも大して変わらない.大きなスーツケースと登山用のザック,手提げ袋といった風貌である.ただ,今回の海外出張は,前の2回(95年と97年の中国での野外調査)と異なり,博物館の標本調査が主目的である.よって荷物の中身は大きく異なっている.

 学生時代に就職のことを心配していたとき,ある先輩から「分類学者は標本と文献とやる気さえあれば,どこでもいい仕事ができるもんだ」と言われた.しかし,逆にいえば,それらがなければ仕事ができないことを意味する.今回の出張は標本を見に行くのであるが,文献がなければ仕事にならない! もちろん滞在先の博物館でほとんどそろうのであろうが,その探索の時間がもったいないので,ハナノミ科に関する手持ちの文献をすべて持っていく決意をした.

 もし私が(たとえばカミキリムシのような)人気昆虫の仲間の研究者だったらたいへんだっただろう.関連文献だけでずいぶんな分量になってしまい,どれをもっていくかでずいぶん悩んだに違いない.(実際,故・林匡夫さんの文献を博物館に運び込むとき,軽トラックでいったい何往復しただろうか?)

 私はハナノミ科というマイナーな仲間の研究者で本当によかった.持っている文献すべてでもザック1つにすべて収まってしまうのだから.

●ずっと昼間(990221)

 このページは飛行機の中で作っている.なぜならヒマだからだ.ちょうど今シベリアのバイカル湖の上空あたりにいるらしい.

 関西空港を離陸したのは午前10時で,フランクフルトにはその日の午後2時すぎに到着する.時計の上では4時間程度しか経っていないが,実際は12時間も飛行機に乗っていることになる.地球の自転にしたがって,お日様を追いかける形で飛び,日本と時差8時間の世界へ降りることになる(目的地のロンドンとは9時間の時差).

 まわりが暗くなってしまえば,ぐっすり眠れるというものだが,ずっと昼間だと何か起きていなくてはならない気になってしまう.少しは眠れたが,やはり到着後の時差ボケは免れないような気がしてきた.

 博物館にはさっそく月曜日に行くことにしているので,何かとても心配だ.


ロンドンのしやけ箱
S. Shiyake in London
●ロンドンに到着(990221)
 ヒースロー空港についたのは午後の4時すぎ.日本では真夜中の1時頃のはずである.市の中心部へむかう2階建てバスの中でそんなことを考えていたら,何だかとても眠くなってきた.
 アナウンスで目が覚めると,バスはすでにロンドンの中心部近くにきているらしく,窓から見える街のにぎわいやネオンのにぎやかさは本当に「竜宮城へ来たのか」と錯覚するほどであった.やがて左手にthe Natural History Museumの大きく荘厳な建物が見え,地図の上で自分がどこにいるのかを把握できた.
 バスの終点Victoria Coach Stationからタクシーを拾い,宿舎へ向かった.ここはつい2日ほど前まで動物研究室の波戸岡さんが泊まっていたところである.安くて何かと便利であると紹介してもらったものである.
 電子メールでいろいろな事情を伺っていたので,昔気質のご主人,緑の服をきた面倒見のいいおばちゃんなど,スタッフは聞いていたとおりのキャラクターで,思わずおかしくなってしまった.食べ物の評価も概ね波戸岡さんと同じで,口に合わないうちはあまりおいしいと思わない.そのうちおいしく感じてくるのかもしれないけれども.
●さっそくNHMへ(990222)
 月曜の朝になった.飛行機で眠れなかった分,宿でぐっすり眠れたので,時差ボケはないもよう.今日からさっそく仕事先の博物館The Natural History Museumへ行くことにした.
 出発直前に連絡をしておいたので,きっと私を待っているにちがいない.宿の近くから地下鉄(Tubeという愛称)に乗り,1回の乗り換えで博物館近くのSouthkensingtonへ着く(地下鉄といっても駅は地上である).
 一般入館者入口から入って,正面のreceptionで名前を告げればよいと聞いていた.玄関を入ると,とてつもなく巨大なホールの中央に恐竜が展示してあり,いきなりスケールの大きさを見せつけられる.受付で名前と担当者の名前を告げたのだが,なぜか案内されたところには大きくPaleontology(古生物学)と書いていて,「昆虫は別だ」などと言われてしまった.どうやら担当者に似たような名前の人がいるらしい.
 出直してみたのはよいが,まったくよくわからない.なぜなら昆虫の研究部門へは展示室から入ることができるのだが,受付でもらったFloor Mapには展示室部分しか書かれていないからである.右往左往していたところにヒゲを蓄えた男性から「あんたはひょっとしてOsakaからきたShiyakeではないか?」と声をかけられた.道に迷っていると思って,さがしに来てくれたらしい.やっと会うことができ,研究室へと案内してもらった.
 昆虫部門だけでもいくつか階がわかれており,甲虫だけで1つのフロアを占めている.研究室は巨大な収蔵庫そのもので,中央部分に高い天井近くまで標本棚がならんでおり,窓側に研究者がデスクを構えている.偉い人は個室になっているようだが,あまり地位の上でない人は決して広いスペースとは言えない.
 滞在するにあたってのルールなどを説明してもらったあと,さっそくながらハナノミの標本をざっと見てみることにした.しかし,予想していたほどの分量はなく,担当のcuratorに「本当にこれで全部か?」と聞いてしまった.同定標本の数で言えば,BMより大阪のほうが多いのではないかと思った(未整理標本は莫大にあるらしいが).
 ただ,蓋を開けてみれば,文献だけから頭に描いていた貴重なタイプ標本がずらりと並んでおり,昼食ぬきでひととおり見るだけで今日の仕事は終わってしまった.明日からは顕微鏡を使っての本格的な調査である.
●アリの巣に迷う(990223)
 大都会の地下鉄は慣れていない人には冷たい.私も小学生のころに大阪へ来て,初めて地下鉄なるものに乗ったが,行き先がわからず泣きそうになったことがある.言葉のあまり通じないここロンドンでは,私は小学生以下であると痛感する出来事があった.
 さあ,今日から顕微鏡を使っての本格調査,と意気込んで地下鉄に乗ったものの,いっこうに動く気配がない.何やらアナウンスがあったあと,乗客はみんな降りだした.何人か座ったままの人もいる.大阪の地下鉄でも人身事故があった時にこのような光景を見る.原因はよくわからないが,とにかく地下鉄は動かないらしい.
 地下鉄の路線図を見ると,博物館へは別の路線を通っても行けることがわかった.3回も乗り換えが必要になるが,とにかくそちらを目指すことにした.地下鉄も複雑に走っているが,乗り換え用の通路も狭くクネクネ曲がっているので,まるでアリの巣の中にいるようだ.乗り換え中にプラットホームに出たので,車両に飛び乗ったら,さっき乗った路線の逆向きだった.実にややこしい.
 宿の近くにあるElephant & Castleという駅は地下かなり深くにプラットホームがあるため,エレベータがついていて,一般の人はそちらに乗るような表示がされている.しかし,朝夕のラッシュアワーにはエレベータの前で人の渋滞が起こり,人が流れていくのを待つしかない.今日の夕方はついにしびれを切らして,非常用とかかれた螺旋階段を上がることにしたが,やはりずいぶん深かった.エレベータを待つ方が早かったに違いない. 
図.アリの巣のように狭いロンドンの地下鉄乗り換え通路.
●百聞は一見に如かず(990224)
 先にも述べたように,今回ヨーロッパに来た最も主要な仕事は,明治時代に来日したヨーロッパ人が持ち帰って新種記載した日本の標本(とくにタイプ標本)を見ることである.外国からのさほど長くない滞在であったため,たいがいは日本で普通に見られる種類を持ち帰って種名をつけていることが多い.
 今日,そのようなタイプ標本を見ていて重大な発見があった.チャイロヒメハナノミGlipostenoda rosseola という種類(英国のGeorge Lewisが持ち帰った標本に基づいて,フランスのMarseulが1876年に新種発表したもの:データラベルにはHiogo(兵庫)とある)が,実は私たちがこれまで解釈していたものとは全く別の種類(日本ではわりと普通に見られる種類)だったことが判明したのである.論文の記載は10行程度しかなく,図も全くないので,やむを得ないことだっただろうが,明らかに過去の日本のハナノミ研究者が100年以上もの間,誰もこの博物館のタイプ標本を見てこなかったために起こった誤りであった.
 このことにより,図鑑に載っている学名が変わることになるが,今度まだまだそのような発見があると思われる.まさしく「百聞は一見に如かず」を実感した瞬間であった.
●スパインの雨はプライン(平野)に降る(990225)
 ロンドンに着いて5日目になり,ようやく英語のリズムに慣れはじめたころであるが,会話の中で奇妙な言葉が気にかかるようになってきた.
  they(ゼイ)を「ザイ」と言ったり,eight(エイト)を「アイト」と発音したり.「マイフェアレディ」の中でイライザが使っていたロンドンの下町のなまりである.英語のリズムに慣れ始めたのはよいが,そのなまりが気になって,相手の言っていることの理解度はあまり上がらない.とりわけ,宿の主人(先に述べた昔気質の爺さん)はこのロンドンなまりを連発するので,今日も大事な話をしていたのに,ほとんど何を言っているのかわからず,結局は紙にペンで用件を書いてもらうことになってしまった.
 ロンドンにいる2週間で英会話も多少はうまくなると思っていたが,このままでは慣れることはなさそうである.そのあとはパリである.フランス語はもっとわからないだろう.
ロンドンの市街地.Knightsbridge付近(Cromwell Road).
●ドイツゴキブリ?(990228)
 博物館の展示のほうはクリスマスの前後に休みがあるだけで,土日はもちろん,曜日による定休日というのがない.しかし,研究部門のほうは土日が休みになっていて,私は研究室から追い出され,標本を見る仕事ができない.ただ,展示の方の見学をまだほとんどしていないので,土日の2日間かけてゆっくりと見てまわろうと考えていた.
 ところが,日曜日(2月28日)は宿の主人の誕生日(たしか87歳と言っていた)で,ランチパーティーをするから,どうぞ参加してほしいとのこと.いろいろお世話にもなってしまったし,せっかくの機会と思って,ご相伴にあずかることにした.
 時間になって食堂に行ってみた.いつも数人が食べている淋しい食堂に正装をした紳士淑女がたくさん集まって,宿の主人の誕生日を祝っていた.私は招待客ではなく,ただの宿泊人なので,同宿の人たち同士で食堂の片隅でランチをいただくことにした.
 私の右隣がパリから来たという女性(ユーロスター:英仏トンネルを通ってノンストップでやってくる特急列車:が出来てからしばしばロンドンに来られるらしい),左隣が友だち同士3人で観光のためにバルセロナから来たという女性である.お祝いのスピーチをする人もロシアやイタリアなど,いろいろな国のお役人らしい.実に国際色豊かな宿である.
 彼女らといろいろ話をしているうちに,私が昆虫学者であることがバレてしまった.家にいるゴキブリのよい退治方法を盛んに尋ねられ,そのあとはしばらく昼食を食べながらゴキブリ談義に花が咲いてしまった.黄色くて小さいゴキブリというから,おそらくチャバネゴキブリ(世界共通種:英語ではなぜかGerman Cockroachという←おそらく学名のBlattella germanicaから来ていると思われる)に苦しんでおられるのだろう.よい退治方法はない,と言ったら,あきらめ顔で「早くドイツへ帰ってくれたらいいのに」とつぶやいておられた.
 このゴキブリがドイツから広まったものかどうかは知らないが,ジャーマンというのはある種の憎しみをもって呼ばれているように感じた.もっとも,アメリカのジャパニーズビートル(マメコガネ),日本のアメリカシロヒトリや南京虫(トコジラミ)も同じような例かもしれないが.
●落胆と驚喜(990302)
 最小限必要なタイプ標本は最初の1週間でほぼ見終わり,週の開けた昨日からは未整理標本の検鏡に着手している.私自身は研究テーマとして種レベルの分類の完成はすでにあきらめており(未記載種が膨大にあるのだ),とりあえずは東アジアから東南アジアの属レベルの分類体系の完成を目指しているのであるが,この博物館にあるたくさんの未整理標本には,これまで私が頭の中で築き上げてきた分類体系を打ち砕く,奇妙な標本がたくさん含まれている.大いに刺激を受けると同時に,一種の空虚な気持ちも抱かされている.
 今日,インドネシアのハナノミの箱からとても見慣れた標本を見つけた.私がマレーシア産の標本に基づいて1997年に記載した2種,Mordellistenoda atrilimbata SHIYAKEとMordellistenoda notialis SHIYAKEである.自分が記載した種類を見つけたられたのは,とてもうれしい気持ちであった.
 あとはこの種類がすでに記載されたものでないかどうか,東南アジアのタイプ標本をたくさん持つパリの博物館で確認せねばならない.
●開かれたライブラリー:文献さがしも一苦労(990305)
 未整理標本の検鏡はエンドレスの作業なので,適当なところで打ち切り,昨日と今日はライブラリー(図書室)で文献しらべである.甲虫の研究室のひとつ上の階(3rd Floor:日本でいうところの4階)に図書室があるというので行ってみることにした.書棚は壁に沿って天井近くまであり,1700年代,1800年代の貴重な図書がずらりとならんでいる.さすがはBM,歴史の深さが違うと思った.
 日本国内で入手できない文献をあらかじめリストアップして来たので,それをライブラリアン(司書)に示したところ,見たい文献の半分程度はここではなく,General Library(中央図書室)や植物学の図書室にあるという.あたりまえであるが,昆虫部門にある図書室は昆虫学の雑誌などに限られており,他にも分野ごとに図書室があるのだ.自然史全体を扱う雑誌などは中央の図書室に置いてあり,さがしている文献をすべて見るためには,大きな館内のあちこちに行かねばならない.文献をさがすのにも一苦労である.
 そのGeneral Libraryに行ってみた.ここへは展示室から直接入ることができ,登録さえすれば博物館職員でなくても(もちろん英国民でなくても)利用ができるようである.小生も2年間の登録証を作ってもらうことができた.
 ライブラリーに来ている人たちはみんな熱心に調べているようすであった.大阪の自然史博物館にも図書がたくさんあるが,現状ではほとんど博物館職員が使っているだけである.市民に開かれたライブラリーをもちたいものであると強く感じた.

 2週間にわたったロンドンの博物館での仕事は今日が最後である.研究室のようすやスタッフのこともようやくわかってきたところだったので,たいへん残念な気持ちでいっぱいである.
 お世話になったスタッフにあいさつをし,いくつか未記載種の標本の借用手続きをした.タイプ標本としてお返しすることを約束して,博物館を後にした.
(ロンドンのしやけ箱:おわり)


パリのしやけ箱
S. Shiyake in Paris
●パリの関西人(990307)
 パリではこちらが日本人と知っている・いないに関わらず,とにかくすべてフランス語で話しかけてくる.英語文化圏あるいは漢字文化圏(中国など)以外に足を踏み入れたのは初めてなので,ちょっと戸惑っている.
 英国にいたときは,相手の言うことをまじめに聞き取るように心がけてきたが,フランス語のようにまったくわからなければ,逆に開き直りというものも生じる.言いたいこと(怒りや喜び)は表情によって思った以上に表現できるものであると感じるようになってきた.
 昨日は支払いで法外な値段を取られそうになり,抗議を日本語(関西弁)でしたところ,相手も抗議の内容を認めてくれたようだった.
 フランス人がフランス語を誇り高く思っているのと同じように,関西人も関西弁を誇りに思っている.これは世界に通じるものであり,私の勝負では,フランス語に関西弁が勝ったのだ.
 「パリのアメリカ人」はどうか知らないが,「パリの関西人」は決して孤独ではない.この美しい街並みに溶け込んでいる美しい言葉なのである.
パリの美しい街並み .
●国立自然史博物館の広さ(990308)
 パリに着いた翌日の日曜日(7日),さっそく国立自然史博物館(Museum National d'Histoire Naturelle)の展示を見に行くことにした.
 ロンドンの博物館でも昆虫部門が独立した棟になっていて,その規模の大きさに驚かされたが,パリはもっと驚いた.広い植物園のあちこちにある建物すべてが博物館で,植物学,古生物学など,部門ごとに独立になっているのだ.雰囲気としては,ちょうど北海道大学のキャンパスに似ていると思った.
 展示は動物の剥製を中心としたグランドギャラリー(本館)のほか,古生物学(恐竜やマンモスなど)や鉱物学の建物にもそれぞれ展示コーナーが設けられている.
 昆虫の研究所はBuffon通りに位置している.植物園の外側に位置していてお客さんが少ないためか,展示室があるものの,なぜかいつも閉まっているようである.受付の女性に「いつ開くのか」と聞いたが,「わからない」という素気ない返事であった.
パリ国立自然史博物館の昆虫部門.右も左も昆虫の建物である.
●キツツキさん(990310)
 月曜日からは昆虫の研究所で標本調査をしている.おもな目的はMaurice Picという研究者の調べた標本の調査である.Picというのはフランス語で鳥の「キツツキ」のことらしい.
 Pic氏は1800年代の終わりから1950年ごろまで活躍したフランスの昆虫学者である.対象は甲虫やハチなど様々な昆虫にわたっており,記載・命名した種類はアフリカ,南米,東南アジアを中心に実に2万5千種といわれる.
 後の研究者が分かるようにきっちりと論文を書いてくれればよいのであるが,Pic氏の記載というのはその虫の特徴をフランス語で数行書いてあるだけで,図も何もないことがほとんどである.「Picの3行記載」というのは甲虫を調べている人の間では,厄介ものとして有名な話である.
 研究所では担当のcuratorから標本室の立ち入りを許され(標本室内の大きなテーブルを調査スペースとしてあたえてもらった),このPic氏の集めた標本を見ているのであるが,私の知らない学名の標本がたくさん「新種」として記されているのである.これらが本当に発表されたものかどうか,それをきちんとチェックしなければ,仕事が前へ進まないのである.
 月曜日と火曜日の2日間はとりあえず,ライブラリーで未入手の論文を調べるところから始まった.パリにいる1週間で必要な種類のチェックするのは,すでに絶望的な状態となっている.
●La Coccinelle(990312)
 パリでの最後の日,自然史博物館での仕事のあと,少し街へ出てみることにした.有名なルーブル美術館には結局は入館せず,前で写真を撮るだけで終えてしまった.
 街の中心部ちかくには,センスのよい雑貨屋などがたくさんあり,さすがはパリと思った.私はテントウムシのデザインの小物を収集しているのであるが,フランス人はどうもテントウムシ(フランス語ではLa Coccinelleという)が好きと見えて,髪飾り,指輪などのアクセサリーから,マグネット,帽子などの日用品のほか,ボールや自転車のベル(!)までテントウムシのデザインのものがある.全部買うわけにはいかず,取捨選択に大いに迷ってしまった.
 大物では,子どもたちが広場で使うような遊具や凧(!)などもあったが,さすがに値とかさが張るので,泣く泣く購入をあきらめた.
 ある小さな雑貨屋では店員のリクエストに応えて,私のテントウムシコレクションをお見せした.パリジャン,パリジェンヌたちは大きな目を見開いて,大いに感心(?)しているようすであった.

ドイツのしやけ箱
S. Shiyake in Germany
●ドレスデンに到着(990314)
 経由先のフランクフルトを経て,ドレスデンについたのは日曜日の午後のことであった.博物館でお世話をしてくれることになっている甲虫研究者が日曜日にも関わらず,わざわざ空港まで迎えにきてくれた.昆虫部門の長であるそうで,予想していた以上の年輩の方であった.
 動物学博物館は展示部分は街の中心部で観光名所となっているツィンガー宮殿にある.研究部門もその近くの小さな建物にあったそうだが,この2月下旬に空港近くの北郊へ引っ越したところだそうである.引越の後かたづけもすまないところに押し掛ける形になっている.
 博物館の近くの安い宿をあらかじめお願いしていたので,空港からまずそこへ行ってみた.そこは例えるなら別荘地のペンションで,陽気な老夫婦が経営しているらしい.まわりはシラカバの生えた森に囲まれ,キツネやタヌキが出て来そうな雰囲気である.梢から鳥のさえずりだけが響いている.冬なので(ロンドンやパリよりはかなり気温が低い)虫が動いている気配は全くないが,これは夏なら最高だったろう.ドレスデンは旧東ドイツではベルリン,ライプツィヒについで大きな街(人口50万弱)だが,このようなのどかなところに宿を構えることになるとは全く思ってもいなかった.ロンドンやパリで泊まった宿とは全く違った環境である.
 博物館への道を教えてもらうついでに,仕事先の博物館まで行ってみた.引越はとりあえず終了したとのことだが,建物の建築はすべて終了しているわけではないようで,まだいくつかは建築中である.日曜日なので職員であっても博物館(研究室)の中へ入れないとのことなので,館内へは明日(月曜日)までおあずけである.
 
●エルベ川のフィレンツェ(990314)
 宿へいったん帰り,ドレスデンの中心部へ行ってみることにした.宿や博物館からは市電で30分程度かかるようである.地図をみるとドイツ国鉄の駅も近いようなので,そちらを利用してみることにした.
 駅も森に囲まれた,まったくのどかな雰囲気である.そして,この上なく静かである.駅員がいない(ドイツに限らず欧州の鉄道には改札というものがない!)ので,本当に北海道の田舎の無人駅のようである.ここから4駅ほど汽車に乗ってドレスデン中央駅(Dresden Hauptbahnhof)に着く.
 日本でもお馴染みのハンバーガー店やピザ店もあるようであるが,駅のまわりには旧東ドイツ時代の建物が多いようで,非常に殺風景である.しかし,少し北へ歩くと観光の中心となるAltmarkt広場などもあり,バロック調の建物もたくさん見えてきた.エルベ川の畔から見たたくさんの塔の姿は本当に美しい.「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれ,数々の芸術家たちを魅了してきた理由もよく理解できる.
 しかし書物によると,これらはほとんど第2次大戦後に再建されたものであるという.1945年2月に連合国軍から空襲を受け,歴史的建築物はほとんどすべて一夜のうちに破壊されたのだという.戦争のむなしさを感じると同時に,元の姿へ忠実に再現したドレスデン市民の力に敬服した.建物の再建は現在もつづいているようで,いくつかの建物は今も建築中であった.とくに東西ドイツの統一後に歴史的建築物の再建がハイペースで進んでいるとのことである.
 動物学博物館の標本は空襲に備えて,おおむね予め疎開してあったそうで,いくつかは損失したものの,おおかたは無事であったとのことである.非常事態においてもその標本の価値を当時の政府が認めていてくれたそうである.
ドレスデン中心部の歴史的建築物.一部は再建作業が進んでいるところである.
●あこがれのK. Ermischコレクション(990316)
 宿から博物館までは徒歩で20分ぐらいである.のどかな森(Koenigswald:王様の森と呼ぶらしい)の中なので,散歩にはちょうどよい距離である.柄にもなく,バードウォッチングなんぞをしながら通っている.虫の動きが全くないからである.
 テレビによると,今日のドレスデンの最高気温は4度,朝の最低気温はマイナス3度とのことである.今朝は小雪が舞っていた.ロンドンやパリが春のぽかぽか陽気で,フランクフルトは20度を超える暖かさだったが,こちらは内陸だけあってずいぶんな寒さである.日本に送り返す荷物の中にセーターを入れなくて本当によかったと思っている.
 今日(火曜日)から本格的に標本の調査を始めている.ドレスデンの博物館のハナノミ科のほとんどはKarl Ermischという人の集めた標本である.このコレクションを見ることが,私の長年の夢であった.
 Karl Ermischは旧東ドイツのライプツィヒに住んだ研究者で,1970年に他界するまでの間,ハナノミ科の研究に明け暮れた.著した論文は60編以上で,記載・命名した種類はどれぐらいになるのか把握できていない.とにかく世界じゅうのハナノミ科について調べ,属のワールドレビジョンなども手がけている.ハナノミ科の世界的な大家として,学界に君臨した人物である.死後はザクセン地方の昆虫学の中心で,「Reichenbachia」「Entomologische Abhandlungen」などの雑誌を出版しているドレスデン動物学博物館に標本が収められている.
 しかし先述のPic氏と同様,実際に調べた標本に当たらないと判らない部分もかなり多いため,今回はるばるドレスデンまでやってきたわけである.とりわけ,氏は中国東北部やモンゴルからもたくさん種類を記載しているが,わたしはおそらくこの中に日本と同一種が含まれているのではないかと考えている.それは論文だけでは判断ができないのである.
 Ermischコレクションもこれまで私が論文だけから頭に描いていたものが実際に目の前にあり,またまた「百聞は一見に如かず」を実感しているところである.標本箱にしておよそ40箱もあり,この2週間できちんと調べるのはまず無理であることがわかった.最低限すべきことを押さえながらの調査である.
●ほな(990316)
 先にも書いたように,フランス,ドイツと初めて英語圏,漢字圏以外の国に滞在している.多少なりともドイツ語やフランス語の勉強はしてきたつもりであるが,習ってきた内容と実際の生の言葉とのギャップは大きい.とりわけ,あいさつの言葉はずいぶん省略される傾向があるように感じている.
 フランス語で「さようなら」は教科書ではAu revoir(オー・ヴォワール)と書いてあるが,何度聞いても「オヴァ」としか聞こえないし,ドイツ語の「さようなら」もAuf Wiedersehen(アウフ・ヴィーダーゼーエン)が「フヴィダゼ」にしか聞こえないのである.実際,そのように言ってみても相手は意味を理解してくれる.
 そういえば,日本語でも親しい間では「さようなら」が「さいなら」とか,関西では「ほんなら」がつまって「ほな」になったりする.毎日使う言葉は万国共通で省略される傾向があるのかもしれない.
●ドイツのドイツ箱(990317)
 以前,なぜ大型の昆虫標本箱を「ドイツ」箱と呼ぶのかについて,尋ねられたが答えられなかったことがあるが,これまで3つの博物館で調査をして気づいたことがある.ドレスデンの博物館はたしかにドイツ箱を使っているのである.
 ロンドンの博物館は似たような仕様ではあるが,大きさが一回りちいさく,形も正方形に近い(「イギリス箱」というのかどうかは不明?).パリは紙箱(!)を本のように立ててしまってある.
 これまで日本国内のいくつかの研究施設で標本の調査をしたが,ドイツ箱が多かったような気がする.なぜ日本でこのドイツ式の箱が採用され普及しているのか,興味深い謎である.
 ただ,アメリカにはコーネル大学仕様というのがあるらしいし,日本でも北大昆虫学教室はドイツ箱よりもかなり小さな箱(ガラス板が内蓋になったタイプ)を使用している.また,ドイツ国内の他の博物館が,どこもこのような箱を使っているかどうかも依然不明である.
図.ドイツのドイツ箱.とってがついている.
●ドイツのドイツ箱(その2)(990318)
 ドレスデン動物学博物館には昆虫のcurator(ドイツ語ではKustosという)が6人いて,甲虫が2名(うち一人が昆虫部門の長)のほか,蝶蛾類,ハチ類,ハエ類,半翅類の専門家がそれぞれ一人ずついる.さらに,それぞれに標本の製作やコンピューター登録をしたり,実質的に標本のマネージメントをするプレパレーター(preparater)という人がKustosの数以上いて,甲虫を扱っている人だけでも4人いる.ザクセン州という旧東ドイツの小さなの州の州立の博物館でありながら,大阪市の博物館よりはるかに豊富な陣容のスタッフがいるのである.
 昆虫関係のスタッフとはある程度顔見知りになってきたところなので,昨日もった疑問(ドイツの博物館がドイツ箱を使っているかどうか)について,誰かに尋ねてみようと思っていた.
 うまい具合に,廊下のむこうから蝶蛾類を扱っているKustosがやってきた.彼は2,3年前までベルリンの大学にいて,学位を取得したあとにこのドレスデンの博物館に赴任した若い研究者である.英語もわかりやすくとても上手にしゃべり,顔を合わせるたびに「研究は順調にいってるか?」などと気さくに声をかけてくれる男である.
 彼によれば,このドイツ箱のサイズというのはとても扱いやすい大きさで,ドイツ国内,とりわけ旧西ドイツではおおかたこのサイズのものを採用しているらしい.ベルリンの大学の博物館でもこの大きさ(ただし高さが7cmでやや厚い)を使っていたという.旧東ドイツの博物館は,どこも様々なタイプの標本箱が混在していて永く扱いに困っていたが,ドレスデンの博物館では2年前からこのドイツ箱サイズに統一するように方針を定めたとのことである.
 彼にこのような標本箱のことを日本で「ドイツ箱」(German Drawer)と呼んでいて,なぜそう呼ぶかについて興味をもって調べているという話をしたところ,とても深い関心を示してくれた.あとは,日本人研究者の誰がこの「ドイツ箱」を日本へ持ち込んで普及させたのかを知りたいところである.
●「うどん」と「おにぎり」(990321)
 先週の寒さでついに風邪をひいてしまったようだ.ヨーロッパでの仕事も終盤にさしかかり,疲れも多少はあるのだろうか.寝込むほどではないので,仕事には差し支えはないが,故国から遠く離れたところで一人で風邪などひくと,ちょっと不安になってしまうものだ.そういえば,市電に乗っていても咳をしている人が多いようである.
 幸い,ドレスデン地方はここのところ温かく,最低気温もプラスに転じているようである.日本では大荒れの天気だったようだが.
 あと1週間で日本へ帰らなくてはならない.もっといたいという気持ちと,もうくたびれて帰りたいという気持ちが半々である.何がつらかったかと言えば,胃の調子が悪いときに軽く食べるものがないのである.私の場合は「うどん」か「おにぎり」である.こちらの人なりのその類の食べ物というのもあるのだろうが,どうもパンの類か甘いものが多いようで,口にあまり合いそうにはないように思われる.
●早起きは三紋の得?(990325)
 ドイツの朝は早い.もちろん日が昇るのは日本とたいして変わらないが,みんなずいぶん早起きして活動しているようである.これは夏にサマータイム(1時間早める制度)がある関係だろうか? 博物館もプレパレーターの人たちは朝8時には来ているようで,担当のKustosも片道1時間半の通勤時間があるのに,少なくとも私の来る9時には必ず博物館に来ている.宿でも7時半に朝食を取っている私はずいぶん遅いほうらしい.
 一方,夕方も早い.同室で標本製作をしているプレパレーターのご婦人は3時すぎには帰ってしまうし,実際4時ごろにはのどかな森の自動車道路が帰宅ラッシュの渋滞になるほどである.
 ドイツ人は朝食を2回食べるとある書物に書かれていたので,本当かなと思っていたが,やはり10時頃にティータイムがあって,その時にみんなパンにチーズをはさんで2回目の朝食を食べている.ドイツでの正餐は晩ではなく昼なのだそうで,本来は豪華な食事になるところであるが,ここは北郊ののどかな森の中なので,昼もパンにチーズをはさんだようなものを食べておられる.私は「2回目の朝食」時はお茶だけ飲んで,昼食時にはカップラーメンを食べている(日本で有名な某カップラーメンはドイツにもあるのだ!).
 通常では2時ごろに午後のティータイムがあるのだが,私のお世話になっているKustosはどうやら甘いものが好きらしく,週に何度かはわざわざ昼休みにどこかへ出かけていってケーキやチョコレートを買ってきてくれる.同室の婦人はさほど甘いものが好きでないようで,「ちょっと出かけてくるね」と声をかけて出ていくKustosを見て,「きっとKuechen(クーヘン:ドイツ語でケーキのこと)やChocolateを買いに行ったんだわ」と苦笑いしておられた.やはりその日の2時ごろにティータイムがあり,私にはケーキを2切れも割り当てられてしまった.
 私は甘いモノはちょっと苦手なので,1切れを残してしまった.Kustosからは「もしあんたの死ぬときが餓死なら,きっと後悔するぜ」と言われた.
●早起きは三紋の得?(その2)(990326)
 この博物館での仕事は今日が最後である.仕残したことはないか,入念にチェックしながらの作業である.
 午後2時には今日もティータイムがあって,やはりケーキを2切れ用意してくれている.私は今日は昼飯抜きで臨んだのだが,どうしてもあと半分が口に入らなかった.Kustosはちょうど貧しかった敗戦直後が育ち盛りで,そのためにあまり背が伸びなかったのだそうで,食べ物は出されたものは必ず平らげるのだそうだ.日本の同世代の方がおっしゃることと,とてもよく似ている.
 スタッフに2週間のお世話にお礼を申し上げて,博物館をあとにした.ロンドンのときと同じように,ようやく馴染んできて,いろいろ気軽な話題もできるようになったころであったので,とても残念な気持ちである.いよいよ帰国である.

[エピローグ]
●またもや飛行機の中から(990327)
 この部分はまた大阪(関西空港)行きの飛行機の中で書いている.上空およそ1万メートルを飛行しているらしいが,たいへん幸運なことに天気がきわめてよいようで,窓の外から地形が見えるのである.チェックインのときに窓側の席を頼んで本当によかった.
 ドイツ国内では森と蛇行する川の流れぐらいしか見られなかったが,ポーランドからベラルーシあたりに入るとたくさんの小さな湖が点在しているのがわかる.このあたりは大陸氷河の影響があるのだろう.森の中に湖だけが白く光って見える.気温が低いために結氷しているからである.
 さっき(フランクフルトを発ってから3時間ぐらい)には真下にかなり大きな街が見えた.どうやらモスクワ市の上空であったようだ.空港や競技場などもあった.その後につづくロシアの大地は,平野が白く森が黒く見える.この3月末でもまだ積雪があるようである.
 ロンドンやドレスデンの博物館で見た標本にも,ちょうどこのあたりの産地のものがある.以前はさほどでもなかったのかもしれないが,今ではなんとなく親しみを覚えている.
 今度は地球の自転に逆行して飛行しているので,日暮れも早く夜明けも早い.あっと言う間に明日が来てしまうのである.
●欧州の博物館と日本の博物館(990327)
 欧州の3博物館をたずねて気づいたことは,研究室はどこもとても静かであることである.スタッフの机の近くに研究スペースを与えてもらったときでも,かかってくる電話の数は大阪の博物館にいるときの私の数分の1程度だし,スタッフは普段は研究図書などを開きながらコンピュータのキーボードをたたいている(つまり研究の活動をしている)という姿が多かったように思う.標本を扱う標本整理が「雑用」のうちに入るようで,そのためか未整理標本の全体に占める割合はかなり少なく,きちんと標本を活用できるような形になっている.
 ドレスデンでのティータイム(上述)のなかで週末の天気のことが話題になったとき,実は大阪の博物館では土日に出勤せねばならないことが多いのだという話をした.相手は当初はその理由がまったくよく出来なかったらしいが,来館者や市民からの質問の電話やフィールドでの教育活動というのも,研究者が表に出てやっているのだという説明をしたところ,ようやく理解してくれたようである.これらも博物館としては当然必要な仕事であって,それはこれからもどんどん活発にやるべきことなのではないか,との意見を述べておられた.
 博物館の研究者が市民と直接対話をしている日本の博物館は,ある意味で欧州の博物館より先進的であると思っている.ただ,よく言われるように「雑芸員」であるために,質の高い研究が維持しにくい.このあたりを解決することが日本の博物館を今後発展させていくカギとなるのかもしれない.
(ドイツのしやけ箱:おわり) 

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