2003〜2006年の日記

1997-99|2000-02|2003-06|2007|2008|2009|2010


2006 年
●心のスキマスイッチ(061221)
●ハナノミ(061207)
●明治初期の 甲虫標本(061028)
●科学する心 (061025)
●近畿古生態談話会(060925)
●屋久島 にて(060921)
●ホタル シアターの展示実習(060909)
●静寂の音 〜サウンド・オブ・サイレンス〜(060831)
●ばらば ら・やまとがわ(060815)

●美しき個性 〜ホタルシアターに思う〜 (060723)
●イワキ? イワワキ?(0600705)
●トウヒ行動(その2) (060623)
●変態?無視ムシ! (060606)
トウヒ行動 (060513)
バツイチ?(その2) (060417)
バツイチ? (060410)
ロジカル・タイトシップ (060314)
最近の作品 2006(060201)



●心 のスキマスイッチ(061221)
 書くべき原稿が、たまりにたまっている。

 某原稿1。11月末が締切。でも編集者は「11月末にはいませんよ〜」。
 「そうなんか。帰ってくるまでは猶予が与えられたのねぇ。」別の原稿のスイッ チが入った。

 某原稿2。11月末が締切。原稿取り立て&編集者が「筆がすすまず、悩んでん ねん」と言っていた。
 別の原稿のスイッチが入った。

 某原稿3。「11月末までにはお願いします」と言われていた。8割おわった が、あと残り2割が済まなかった。12月はじめに「すみません、一週間だけお待ち願えますか」と頼んだ。
 「わかりました。しょうがないですね。年末までにはお願いしますよ・・・」
 何や、年末まででええんか・・。must-doランクが一気に下がり、別の原 稿執筆にスイッチが入った。

 某原稿3も、ようやく仕上げ、封筒を閉じて切手を貼った。
 某原稿1も、とりあえず不完全ながら編集に渡した。

 
 人間たるもの、原稿書きのスイッチは、ひとつしかないものである。心に隙間が できると、別のところにスイッチが入る。


●ハナノミ (061207)
 甲虫学会が近づいている。研究発表のほうは、ちゃっちゃか仕上げたのだが、悩ましい事のもうひとつが、昨年の大会や春の例会で頼まれていた「標本同定の 結果」を返さなくてはならないことだ。
 ハナノミの研究はもうやめたことになっている(こちら参 照)のだが、同定は頼まれたら断るわけにはいかない(博物館の業務のひとつだし・・・)。
 だいぶ長い間、真剣に調べていた虫だから、なにか懐かしいというよりも、別れた妻と再会しているような感じ?
 僕には経験ないけど・・・。


●明治初期の甲虫標本(061028)
 博物館で昆虫分類学会が開かれた。自分の講演(「古代湖=琵琶湖の存在によって特徴づけられる滋賀県の昆虫相」)もあったほか、このたび博物館に収蔵さ れることになったG・ルイス標本の展示も行った。
 G・ルイスとは、まだ新橋−横浜、神戸−大津にしか鉄道のなかった時代(1880-81年)に、汽船で長崎や函館へ渡り、日本の野 山を広く歩き回った茶の貿易商だ。
 ルイスハンミョウ、ルイスオサムシ、ルイスオオゴミムシ、ルイスアシナガオトシブミ、ルイスジンガサハムシ・・・。ルイスとつく日本の甲虫はたくさんあ る。
 甲虫界のシーボルトといったところか。
G・ルイ ス標本の展示

科学する心(061025)
 通っていた小学校にT先生がおられた。年輩の先生だが、校長でも教頭でもない。かといって、担任をもっているわけでもない。自分のクラスの担任の先生が 来られないとき(今おもえば、ストライキとかだったのか?)にやってきて、教科書に載っていない、いろんな理科の話をされる・・・。火山、地震、天体、古 生物などなど・・・。
 担任の話より、すごく面白くて(失礼)、のめり込んだ。40分の授業時間がとても短く感じられた。スケールが大きい話なのに、まだ分かってないことが、 世の中には身近にたくさんある・・・。でも、けっこう意外に、法則性はある・・。あの先生に、「科学する心」の楽しさを教えてもらったといっても過言では ないと、今でも思っている。
 昨日(24日)、大阪市内の某小学校から、80名あまりの小学3年生がやってきた。今の私にとっては、虫の話をするしかないんだけど、話をしながら、自 分が今、あの頃のT先生の立場にいるのかなあ、と思った。
 「科学する心」の楽しさを、あのころのT先生のように、伝えられるようになれたらいいなあ。それが、今の自分の仕事の一部なんかなぁ・・・と感じた一日 だった。

●近畿古生態談話会 (060925)
 タイトルの会合が博物館であると聞き、参加した。テーマはトウヒ属(化石と現生)の分類・分布。
 私とぜんぜん関係なさそうに思えるかもしれないが、実は2つの側面で深く関係がある。
 ひとつは生物相の変遷。去年あたりから各地で泥炭層を掘って昆虫化石を調査しているが、必ずと言っていいほどトウヒの球果が出てくる。当時の気候や環境 を知る上で、重要な植物だ。
 もうひとつはカサアブラムシとの関わり。ツガにつくカサアブラムシについて、昨年からアメリカ農務省の調査プロジェクトに加わっている。カサアブラムシ 類は一生のうちに寄主転換をする昆虫で、二次寄主はツガ属、モミ属、カラマツ属、マツ属などさまざまだが、一次寄主はすべてトウヒ属で虫こぶを作る。
 ところが、少し調べたが、この虫の分類をまともにやっている人は、戦前に北海道にいた程度で、その後の半世紀以上ほとんど進んでいないらしい。信州でた くさん見られるカラマツカサアブラムシは、分布が「北海道」としか書かれてなかった。林業害虫で問題になることが少ないことが原因のひとつらしい。
 南アルプスや八ヶ岳で虫こぶをたくさん取ってきたが、結局これらは未記載のものが多いということになるようだ。カサアブラムシまで命名記載する元気はな いぞ・・・。
 談話会では、とてもわかりやすく概要や見分け方などを教授してもらい、手元のトウヒ属の標本も同定してもらった。充実した会合だった。

●屋久島にて (060921)
 昆虫学会の開かれた鹿児島から少し足を伸ばして、屋久島へ渡った。1999年(だったか)以来の2回目。前回は初夏だった。
 ジェットフォイルからトビウオがたくさん見られた。安房の港につくと、聞き慣れないセミの声が・・・。クロイワツクツクらしい。簡単に手で採れた。
 今回の屋久島訪問は、ツクツクボウシの方言の録音がメインの目的だった。島内には海岸部から山まで、広くみられた。
 ツクツクボウシの鳴き声は「つくつくぼーし、つくつくぼーし・・・」と繰り返したあと、本土のやつは「はい終わりー、はい終わりー」といって終わるが、 屋久島のやつは「つくつくぼーし」をだんだん速く繰り返して終わる。
 韓国と中国でも録音している(これらも日本のものと違っている)ので、それらも合わせて、来年夏の特別展で「セミの方言」として紹介する予定にしてい る。

鳴いてい るクロイワツクツク。屋久島にて。太陽を透かすと、腹部が空洞であることがよくわかる。

●ホタルシアターの展示実習(060909)
 ホタルシアターの点滅が明らかに弱くなったので、博物館学実習に来ている学生に「展示の実習だ」と称して、電池の交換をしてもらった。
 ところが、中に足を踏み入れたとたんに「ギャーーー!!」という声。ガムを踏んだそうな。
 それによく見ると、受付まわりで配られるいろいろな紙が丸めて投げ入れられている。
 ホタルシアターはゴミ箱やないぞ!

● 静寂の音 〜サウンド・オブ・サイレンス〜(060831)
 この夏、セミのデータとりがらみで、騒音計を持ち歩いていた。意外に面白い機械だ。
 クマゼミのもっともうるさい7月下旬から8月上旬の、晴天の朝8時ごろには、大阪市内の公園は90デシベルほどの騒音になる。昨夏の大声大会では、優勝 者は100デシベルを超えた。
 一方、先だって、三重県・青山高原へ行った。霧が立ちこめて、セミも鳥もないておらず、風力発電の塔が立ち並ぶ、幻想的な風景だった。さっき通り過ぎた 車のエンジン音が、いつまでも鳴り響いている。静かだ・・・。
 車の音が聞こえなくなったところで、騒音計で音量を測ってみたところ、約25デシベルだった。涼しさもあって、本当にすがすがしい気分だった。
 長居公園では、最も静かな未明でも、35デシベル程度ある。現代社会、音によるストレスというのは、気づかない中で、実はかなりあるのではないかという 気がした。

●ばらばら・や まとがわ(060815)
 今回のワークショップ「ぶらぶら・やまとがわ」は、静かにのめり込んでしまうタイプだ。私自身、初日の午前は、参加者そっちのけで、自分の作品づくりに 没頭してしまった。
 最初はモクズガニをモチーフに、「か●道楽」の看板のように、脚をヒモで動かすものを作ろうと思ったが、「ばらばら・やまとがわ」になりかけて挫折し た。
 次に、砂を好む生物をフィーチャーしようと思い、手書きでカワラハンミョウ、カワラゴミムシを書いてぶら下げた。砂の生きものを他にさがして、すでに準 備されているスッポンを加えた。
 そこでバックに人を加えたくなった。でも、ボサボサ頭になったので、ついでにヤリを持たせて、原始人にした。ギャートルズ 世代(ビートルズ世代ではない)の私としては、やはりバックにはゾウ(ナウマンゾウ)を加えたくなった。大阪に人が住み始めた頃(最終氷期ぐらい?)の大 和川が完成。
 ここでハタと気になった。北海道やロシア極東にもいるカワラハンミョウ、カワラゴミムシはいいとして、スッポンって、寒冷期の大阪にいただろうか?
 動物の変遷にくわしいTさんが来られてたので、聞きにいった。どうやらスッポンは温暖な照葉樹林帯の生物らしく、寒冷期の大阪にいたとは考えにくいとの こと。
 砂地が自然だったころの大阪にしたのはよかったが、ちょっと時代をさかのぼりすぎたようだ・・・。
 ああ、「ぼろぼろ・やまとがわ」だ

● 美しき個性 〜ホタルシアターに思う〜(060723)
 今年の特別展は大和川がテーマである。私は河川の甲虫やホタルが担当だ。
 「きたない大和川(水系)にホタルがいる?」ということを扱った展示は、当初からの課題であったが、「ホタル部屋」なるものを作ることで進んでいった。 大和川展オープンまでの最後の週末、
ようやく、ほぼ完成といえる 状態にまで行ったが、「ホタル部屋」という陳腐な表現は似合わない。もはや「ホタルシアター」と呼ぶべき素晴らしいものになった。
 
展示製作には土日とも、プロジェクトY(大和川水系の市民調 査)のメンバーに、全面的に手伝ってもらった。すごいと思ったの は、このシアターには、関わったそれぞれの人の技が、必ずどこかで生かされていることである。たくさん作った草本植物は、それぞれの人が工夫しながら作っ たものである(展示場所は暗くて見にくいのに、かなり凝ったものがある)し、樹上の花もかなり思いを込めて作っておられる様子もあった。作品そのものでな くとも、バックの写真をつなぎ合わせて貼るときの手順がテキパキしていたり、川の砂地を簡単にリアルに表現するアイディアが見事に出てきたり・・・。
 このシアターは、ホタルに関する展示内容そのものだけではなく、世の中の人々の個性の美しさ、さらには世界の生物多様性へも思いをはせることができる、 すばらしい展示になったと思う(これはちょっと言い過ぎかな?)。
●大和川展の HP
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2006yamatogawa/

ホタルシアター完成へ向けた途中経過。完成品は展示室で!

●イワキ? イワワキ?(0600705)
 6月30日から7月5日ま で、青森県へ出かけた。前半が野尻湖昆虫グループという研究サークルの合宿、後半がコメツガの調査だ。
 津軽半島の湿地帯は広大で、海岸も自然度が高い。大和川にかつて生息していたことを紹介した「カワラゴミムシ」が、海岸部の砂地で見られた。
真ん丸で脚が長く、とても愛嬌のある虫だ。砂の上をす ばやく走る姿が、非常に印象的だった(写真1)。
 岩木山(写真2)では登山を伴ったものになった。「登山は久しぶりかなあ」とも思ったが、そういえば、6月始めに大阪・岩湧山の調査で登山している。今 回は、イワワキ山でなくイワキ山だ・・・(ややこしい)。
 頂上付近では、実にさまざまな昆虫が吹き上げられていた。ウンモンテントウ(写真3)、トホシハムシ、ヨツボシヒラタシデムシ・・・。中にはエゾハルゼ ミの姿もあった。どうやら7〜8合目周辺のブナ林の昆虫たちが吹き上がっているらしいが、こんなに多種多様かつ個体数の多い吹き上げは初めて見た。岩木山 が独立峰であることも関係しているかもしれない。



カワラゴ ミムシ。七里長浜にて。
岩木山。 飛行機から。
ウンモン テントウ。岩木山山頂に吹き上げられていた。


●トウヒ行動(その2)(060623)
 トウヒ探しのトウヒ行動(こちら) パート2として、長野県と山梨県へ行った。23日は霞がかかっているものの、富士山が頂上から裾のまでよく見えた。
 富士山を初めて見たのは中学3年の修学旅行の時だった(新幹線から)。6月だったので、ちょうど今頃と同じ黒い富士山だった。最初みたとき、写真と違う ので、 富士山だとは思わなかった。
 富士山は好きか嫌いかというと、好きではなかった。「天は二物を与えず」というが、日本一高い山が日本一美しいのは許せなかった。でも、たまに見ると、 写真をたくさんとってしまう。
 湖は琵琶湖。日本一広いが淡水生物多様性も日本一なので、これも「二物を与えている」ということかも・・・。富士山ほどのインパクトはないが、滋賀県に 生ま れて育って、今でも住んでいるので、嫌いにはなれない(彦根から今津へ行くときなど、邪魔やなあと思うことはあるが)。
 川は何だろう。今の私にとっては大和川かな・・・? 日本一きたない(?)けど・・。
 「山が〜富士なら〜、川は〜大和川〜!」
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/tokuten/2006yamatogawa/
黒い富士 山。山梨県山中湖村にて。

●変態?無視ムシ! (060606)
 昨年、兵庫県内の某昆虫館、O学芸員と共同企画したワークショップを、再度、開催した。タイトルは「びっくり変態!むしムシ親子」。昆虫の成虫の標本を 見せて、幼虫写真(トランプ形式のカード)から探してもらい、昆虫の完全変態・不完全変態について考えてもらおうという企画である。昨年が好評(担当の教 育スタッフ談)とのことだったので、再度おこなうことになった。
 ワークショップは進行係のおねえさんと、「むし博士」と称される私(学位は無いけど)との掛け合いで進んでいくのだが、すごく虫のことをよく知っている 子がいたり(昨年の参加者とか)、逆に初めての参加者もいたり、また私のボケに即座にツッコミを入れてくれる回もあれば、ボケに全く無反応の回もあったり して、対応をそのときどきによって変えなければならないのが、難しい部分と面白い部分があった。子どもは実にさまざまだと思った。
 中にはとても幼い子も参加することがあるのだが、このワークショップの場合、正しい答えというのが歴然と存在していて(アゲハチョウの幼虫写真は1枚し かない)、それに答えられなかった子が惨めな思いをしなくてはならない点が、進行の上で問題点のひとつであった。
 中学・高校に入ったら、「テスト」という○と×の恐ろしい世界に嫌でも身を投じなくてはならない小学生らに、このような思いをさせるのは申し訳なかっ た。でも、真実を追究するのが科学だから、自分の間違いを受け入れることも、大人になっていく上で、重要なことかもしれない。
 1回約1時間のプログラムを2週にわたって12回やって、正直つかれたが、これで虫の好きな子どもたちが増えてくれたら、それは他に代えがたく嬉しいこ とだ。

トウヒ行動 (060513)
 1月にアメリカへ行ったとき(こちら)のカウンターパートが再度,やってきた.前回の 3月(こちら)とは別の方々である.
 彼らの訪日の目的は,日本での野外調査で,交通手段,宿舎,食事の手配などなどが,かなり面倒ではあるが,雑多なデスクワークから逃れ,フィールドへ身 を置くことができる数少ない機会でもある. 体は疲れるのであるが,心は晴れ晴れした気分になることができる.
 今回の目的のひとつは,トウヒ類(Picea)につく昆虫の調査である.北海道のエゾマツ(P. jezoensis),アカエゾマツ(P. glehnii),本州中部山岳と紀伊半島最高部にあるトウヒ(P. jezoensis var. hondoensis)などはよく知られているが,他にいくつか稀産種が知られていて,その多くは南アルプスや八ヶ岳周辺に分布しているという.
 森林を管理する部署からの許可もいただき,無事に南アルプスや八ヶ岳に入ることができた.これまで全く見たこともないトウヒの仲間が生育しているのを見 て, これまた少し心が晴れ晴れした気がした.
 夏の特別展なども近づいてきて,すべき仕事もすでに山積しているのであるが,それらのことをしばし,忘れさせてくれた(忘れたらアカンってか?).


ヤツガタ ケトウヒ(Picea koyamai).
 八ヶ岳にて.
ヒメバラ モミ(Picea maximowiczii).
 南アルプス北西麓.

バツイチ?(その2) (060417)
 バツイチ(?)宣言(=学位断念宣言)をし,「もう私は三流研究者の道を進むんだ」と心に決めかけていたところ,文科省・科研費の採択が内定したという 連絡がきた(若手研究B).テーマがハナノミの研究だったら笑い話だったが,幸い(?)異なるテーマで申請していた(こちら).
 すでに新年度が始まっていて,私の気持ちは,手持ちの研究プロジェクト(セミとツガ)をこなすことと,今年と来年の特別展に向けての準備へ,シフトを敷 き始めていた.
 科研費については,申請は毎年しているが,ずっと不採択で,はっきりいって今回も当たるわけがないと思っていた.国の研究予算は,実績のある(出せる) 有名大学などに偏るようになっていると聞いていたから,弱小施設,とくにウチのような文科省直属でない公立博物館なんかは,箸にも棒にもかからないと思っ てい たからである.まったくの想定外,晴天の霹靂である.
 シフトのチェンジを再検討しなくてはならなくなったが,当然ながら,とてもやりたいと思って申請したものでもあるし,幸い3カ年計画で申請していたの で,上記と並行しながら進め,よい成果を得たいと思っている.

バツイチ? (060410)
 突然だが,い くつかある研究テーマのうち,ずっと第1テーマとしてきた「ハナノミ科甲虫の分類研究」を,新年度の研究テーマから外すことにした.4月9日の甲虫学会 例会で,同席していたみなさんに宣言した.
 理由はいくつかあるのだが,最も大きいのは,2001年から5年間,論文が出なかったことだ.分類屋は標本を見なくなって,論文を書く癖を失ってしまっ たら,もう終わりなのである.
 休日にしか研究のできないアマチュアの知人らから,「研究施設に勤めているのに,ぜいたくをいうな」と言われた.「忙しい」というと,仕事が遅い言い訳 を しているみたいで,みっともないので,あまり言いたくないが,この5年ほど(さらには博物館着任後の14年間)を振り返ってみても,ハナノミの分類研究を じっくりとやる環境に無かったのは事実 だと思う(特に成虫出現期の夏場).さらにこの先2年間は少なくとも,その環境が無いことがすでに明白となっている.
 そもそも,当時の大学院生に勧められて,このテーマを始めたのは学部3年生の時だった.20年近くも集めて来た文献やら標本を無駄にするのは実に勿体な いことで,長年つれそった配偶者と離婚するような気持ちだが,どこかさっぱりした部分もあることも,バツイチの人と同じかもしれないと感じている(経験は 無い からわからないけど・・・).
 最終的には博士の学位を・・・,と考えていたのは,軌道修正,というか実質的には生涯断念をすることになると思う.でも,そもそも私は大学院の博士課程 には行っておらず,そのための教育やデータ蓄積はできていないので,そのことを口にする権利も元々無いんだと思えば,これもまたさっぱりした気持ちであ る.身分相応な進路選 択だと思う.

ロジカル・タイトシップ (060314)
 1 月にアメリカに行った(こちら)ときの共同研究者2名が来日された.ひとりは高校生のこ ろにホームステイで日本に来たことがある(よって,ある程度の予習が出来てい る)そうだが,もうひとりはまったく日本は初めてとのことだった.館内の勉強会(ゼミ)で話題提供をしてくれたほか,私自身も何日間か,彼らのフィールド 調査に同行した.成果は上の上であった(くわしくは,また後日に論文等で紹介します).
 彼らの日本に対する印象を聴いてみたところ,まずひとつは「Logical」.インターネットのケーブルのジャックに埃が入らないようにフタがあった り,大都市で 土地を無駄にしないように往復のハイウエーが二階建てになっていたり・・・.あと,いろんなものが使いやすく工夫されていることに,いちいち感激していた のが,とても面白かった.ゼロから発明はできないが,改良が非常に得意な日本人の特性を示したものだろうと感じた(日本製品はアメリカで売れるわけであ る).
 もうひとつの印象が「Tight Ship」.この言葉は辞書をひくまで知らなかったが,「きちんと組織されて効率的に活動している組織・会社」とある.上記のこととも関連するのだろう が,あまり標準から外れる人が多くない=没個性 という意味であるととってもよいだろう.たしかに今の若者を見ても,意見を表立って言わない人が多いなあと不甲斐なく思ったり,逆に 私も少年時代や若い頃に,個性を伸ばせなくなるような,厳しく理不尽な年長者が身のまわりに多かったも事実である.
 しかし,海援隊の「母に捧げるバラード」ではないが,「ちゃんと働け」「人様に迷惑はかけるな」と,オカンを始めとする身近な年長者に,きびしく躾られ てきたのが,私た ち日本人というものであり,それが日本という国の(それなりの)繁栄を支えている部分は少なくないだろう.
 その良さを後世に残しつつ,かつ若手や子どもたちの個性を伸ばしてあげられるような,心の広い人間になりたいものであると思う.

最近の作品2006(060201)
 1月末に友の会総会が開かれた.会場設営係で忙しかったので,作品を出すかどうか迷ったが,当日の朝に出品することにした.その作品と結果は以下の通り であった.Wさんじゃないが,それなりに自信があったのに,入賞すら果たせず残念.

2006年バッジコンテストの作品1
「大和川ヒメドラーズ」

昨年,大ブレイクしたヒメドロムシ採集をテーマにした.二上山の日の出と大和川の川面に拡がるフンドシ.得票は2票だった.

2006年バッジコンテストの作品2
「コヒョウモン」

2005年7月に訪れたサハリン(樺太)・トゥナイチャ(富内)湖畔での1枚.昨年のベストショットだったのだが,得票は,やはり2票.


2005年
人に優しく (051207)
Back to 1978(051102)
50 分の5のプライスレス(051014)
氷河地形に思う (050917)
樺太挽歌(050807)
フィー ルドワークは一期一会(050717)
●人にNatural Historyあり (050716)
●手つかずの自然に魅せられて (050708)
●人間の限界は? (050621)
●春はあけぼの=季節の中 で(050315)
●お寒し年末年始(050112)

人に優しく(051207)
 大阪市立自然史博物館では,情報センター(新館)と普及センター(本館)の2つの窓口があり,毎日の開館時間に,学芸員がそれぞれ交替で詰めることに なっている.来 館者からの展示に関する質問や,持ち込みの標本しらべなどに対応している.博物館としては,来館者が気軽に専門的な話を直接聞ける「極上」のサー ビスだし,私たちも市民と直接ふれあうことができるいい機会と思っている(ただ,学芸員は14人だから1週間に1度程度という頻度で当番が回ってくるの で,それはそ れで,とても大変なんだけど・・・).
 先だって,恐竜博2005で混み合っている中,来館者のひとりに怒鳴られてしまった.ショップのレジが混み合っていて待たされて頭に来たことが原因のひ とつ であるらしいが,座っている私たち学芸員の言葉遣いや態度が,接客のトレーニングが全くできていないということが,それに拍車をかけたらしい.
 たしかに,上記のような目的で学芸員が詰めているということであっても,窓口に出て,お客さんに接する以上は,本当はそれなりのものを身につけておく必 要がある.民間企業などでは日常の仕事やプライベートでも,問い合わせなどに対して,それはそれは丁寧な態度で接してくれるところは多い(ヒドいところも あるけど),
 そんなことを考えながら,先だってタクシーに乗ったのだが,あれは接客業として最低だといつも思う.行き先を告げても返事はなし,「そこを右に曲がって くださ い」といっても返事はなし.到着して料金を支払っても「ありがとう」も「ございます」もなし.おまけに荒っぽい運転で,ヒヤッとしたことも少なくない.
 このようなヒドいやつらと自分の接客態度が同じに映っているのなら,それはとても気分が悪いことだ.お客さんにぺこぺこするばかりがいいとは思わない し,それで本来すべき業務の質が落ちてしまうのであれば本末転倒だろうが,博物館にサービス業の側面があるのは間違いないことであり,それなりに心が けるべき点はあろうと思う.

Back to 1978(051102)
 1978年は今おもえば,いろいろなことがあった年だったようだ.日中平和友好条約,キャンディーズ解散,江川事件・・・.博物館的には,野尻湖昆虫グ ループや直翅類研究会が発足したのが,この年であった.数年前 に20周年記念をやったとき,直翅類「ばったりぎす」の人たちと話していて気づいた.どちらの会も,言い出しっぺの日浦勇氏の脂がのり切っていたころなの か なぁ,などと想像する.
 このころ私自身は,そんな会の発足も何も,もちろんまったく知らない普通の小学3年生だった.当時の担任の先生はM先生だったのだが,そのM先生か ら先だって,博物館にお電話くださった.私は昨今,セミ関連などでい ろいろ人様の前(テレビ,新聞など)に出なくてはならない機会があるのであるが,そのようなもののひとつをごらんになって,コンタクトしてきてくださった ようだ.たしか に「初宿」という珍姓の「成彦」という名の人物は,おそらく世界でひとりだろうから,特定するのはとても簡単だ.
 一緒に食事をしながら,当時のことを思い出したのだが,私は生徒の側だった し,M先生はとても面白い先生だったので,こちらは当然,強く覚えているのであるが,先生のほうも私のことをよく覚えていてくださり,27年という年月を 感じないほどだった.当時の個性豊かなクラスメートらが,ほんとうに懐かしい.
 私は当時,やはりおとなしい児童だったようだ.今といっしょだ.人間そんなに変われるわけではないのだ.
 ただ,忘れ物の多い子どもだったらしく,家まで 取りに帰るのに,先生が一緒についてきてくれたらしい(その間,ほかのクラスメートらはどうしていたのだろう・・・).人に迷惑かけたことは案外,忘れて しまうもの だ・・・.

50分の5のプライスレス(051014)
 博物館はデパートや商店などと同じように,世間での休日が仕事の日だといってよい.といっても,毎週末ぜんぶ仕事をするわけにはいかないので,15人の 学芸員は2班にわかれ,交替で週末(土日)の出勤と休暇を取ることになっている.しかし,多様な仕事に追われる雑芸員・・・.現実にはそんなローテーショ ンなど,守れるわけがない.
 ある 日,「もしかして土日に休めている日が,とても少ないのではないか?」と気づいて,今 年の5月以降10月中旬までの土日祝に休暇を取った日を数えてみた.50日あったうち,5日であった.
 家庭では通常,私ぬきで既にどこかへ出かける計画が進んでいて,たまに休みになった週末になったりすると,当然のごとく参加人員に数えられてなかったり する.小学校の授業参観,運動会には行ったことがない.なかなか悲しいことであるが,現実だ.
 ところで,大阪市職員のいわゆる「厚遇」問題がマスコミに取り上げられている中で,若干出ていた休日出勤手当が廃止されるということらしい.それをも らったから家庭の状況が改善されるわけではない一方,市民からは「理不尽だ」「税金で飯を食わせてもらってるだけマシと思え!」と叱られるのかもしれな い.しか し,平日働いている人と休日に出てきて仕事している人が,まったく同じだと言われても,これはなかなか納得がいかない.私も社会の中で家庭を持つ人間の一 人であ る.プライスレスの大事なものを何も言えずに失っていくのは,家族と一緒の豊かな人生を,何も言わずに放棄せよと言われているのと同じ なのだ.

氷河地形に思う(050917)
 
2003年に行った中央アルプス・駒ヶ岳へ家族と出かけた.3月はほんとうに静かだったが(こちら),8月の千畳敷は実に賑やかで,ロープウエーは1時間待ちという状況である.
 前回は積雪が深くてよくわからなかったが,今回は氷河地形がはっきりとよくわかった.冬季の積雪量が夏季の融解量を上回り,やがて分厚く巨大な氷の塊が 形成され,山の斜面を削りながら滑り出すのだという.南米に出かけた同僚のTさんが撮影された氷河の写真を見せてもらったが,これはいわば「河」なのだと いうことがよくわかった.これと同じものが約2万年前,この中央アルプスにも形成されていたのである.
 この数年,夏の仕事量がとても多すぎて,夏を乗り越えるのがしんどくなってきている.ここのところ,ようやく涼しくなってきて,「今年もなんとか乗り越 えられたのだなぁ」と実感している.しかし,夏の間に溜まりに溜まった仕事すべてを,冬の期間までに解決させているかというと,翌年へ持ち越している量 が,年々増えているのが実際のところだ.
 周辺の地形をこわしながら,斜面を削って滑り出す前に,何とか融解させたいものである.

夏の中央 アルプス・千畳敷カール.

樺太挽歌(050807)
 4度目のロシアに行く機会があった.
今 回は沿海州に加えて,サハリン(樺太)へも渡航した.北海道のすぐ北,最終氷期(約2万年前)には,北海道と陸続きになっていた島である.私が北大に通っ ていたころからの,あこがれの地であったが,当時は東西冷戦で,利尻岳の上から望むことしかかなわなかった.
 サハリンは第2次大戦の終戦まで,南半分が日本の領土であった.ユジノサハリンスクは豊原(とよはら),チェーホフ山も鈴谷岳(すずやだけ)と呼ばれて いた.戦後60年が経った今では,日本時代の面影はほとんど感じられないが,拓銀豊原支店や樺太庁中央試験場の建物は日本時代のもので,たしかにどこか日 本ら しさが感じられる.
 ユジノサハリンスクのマーケットでは,アジア系の人たちが,キムチなどをたくさん売っていた.サハリンには終戦後,祖国に帰れず,現地に残留した韓国人 がたくさんおられることを書物で読んでいたが,現実に目の前にして,複雑な思いがした.
 私たちは日本の約2万年前の昆虫を調べるのが目的で,このサハリンにやってきたのであるが,激しい戦闘という悲しい現実が,この島で起こったのは,たっ た60年前のことなのだ.
 ユジノサハリンスク郊外に広がるジャガイモ畑は,「ざわわ」と風が通り抜けるだけであった.


旧・樺太 庁中央試験場.現在はロシア科学アカデミー・海洋物理学・地質学研究所となっている.(ノボアレクサンドロフスク,旧地名・小沼)

ツノグロ モンシデムシ.ユジノサハリンスク東郊・チェーホフ山にて.

フィールドワークは一期一会(050717)
 以下の文章は,特別展「なにわのナチュラリス ト」展の解説書に書こうとした文章の一部です.原稿締切を全く守ろうともしない人がいたあおりで,とても忙しい中で急いで執筆したのに,印刷物から はじかれてしまいました.仕方がないので,ここに掲載します(はじかれた文章や図表は,これの数倍あります).
  大阪市立自然史博物館にはおよそ50万点の昆虫標本があり,この点数は国内の研究施設ではトップクラスです.しかし,日本に10万種(うち名前がついてい るのは3万種)という状況では,1種あたり平均して5点しか標本がないことになります.もちろん,オオオサムシのように,ドイツ箱30箱(推定約 4,500点)の標本があるものもありますが,逆に図鑑に掲載されながら,標本が1点もない種類も非常にたくさんあります.
 このような状況では,その虫がどのような地域のどのような環境に すんでいるものか,いつの季節に発生しているのか,どれぐらい色や大きさの変異があるのか,などを調べるには,あまりにも少ないと思います.
 私は野外調査のときは,できるだけたくさんの種類の採集をするよ うにしていま す.「研究している虫以外の虫をたくさん殺すなんてかわいそうだ」という批判も受けることがありますが,そのときに採っておかないと,後で「あのとき,あ の虫がいたのはいつだったか」とか,「あのときに見た昆虫は2種類のうちのどっちの種類だったのかな?」というとき,その証拠となるものが手元にないと, どうしようもなくなるのです.
 とくに家から遠いところや外国などで調査するときは,とにかく, いろんな虫を 採集するようにしています.すぐに標本を作れなくても,後でタトウなどを見返したとき,その採集時には興味がなかった虫でも,「ああ,あの時,こんな珍し いものを採っていたんだなあ」と気づいたりすることがしばしばあります.また,自分ではよくわからなくても,他の研究者に見せたとき,「これは新種です よ」とか「近畿で見つかるのは初めてですね」いう答えが返ってきたりして,とても驚かされることもあります.
 多くの偉大なナチュラリストたちの足跡を見て感じるのは,やはり その時その時,一生懸命,フィールドワークをすることが大事だということです.野外で出会った虫たちは「一期一会」と思って採集し,きちんと標本に残すよ うに心がけています.

●人にNatural Historyあり (050716)
 第34回特別展「なにわのナチュラリスト」展が開幕した.私は芝川又之助,寺西暢,鈴木元次郎,後藤光男,林匡夫といった人物を担当した.準備段階で, それなりの取材をしてきたので あるが,人生というものは,家庭,社会,時代,個人・・・いろんなものに左右されて,なかなか一筋縄ではいかないものだと改めて思った.
 たとえば,大学進学.現代ならだいぶ状況が違うかもしれないが,50年以上前とかであれば,大学まで進める人は本当に限られていたであろう.実際,鈴木 元次郎さんや林匡夫さんら は大学まで進んでいない.その人自身の能力の有無とは,全く別であったとしか言いようがない.
 私自身,少年時代に「おまえは大学までは行かせられないからな・・・」と親に言われ続けてきた経験がある.中学のクラスメートの中 に「いい大学に入らなきゃ」と必死に勉強している人がいて,「大学まで行く人は大変だな〜」などと思っていたが,私も何とか無理矢理にも大学まで進学して 卒業 できた から,現在の職業に就いているのは間違いないことである(学芸員になるのは大卒が最低条件なので).
 もし親の言うとおり,大学に進学していなかったら,きっと別の人生が 待っていて,もっと苦労しているかもしれないし,逆にすごいお金持ちになっていたかもしれない.今の私のポジションにも,私なんぞよりも,もっと素晴らし い人が来ていて,博物館が明るく楽しいところになっていたかもしれないし,私自身,今の職業よりも,もっともっと自分の能力を発揮できる職業に巡り会って いたかもしれない(歌手とか?).
 準備を終えて強く感じるのは,これらの「なにわのナチュラリスト」たちは,その生まれ育った境遇のうんぬんに関わらず,どこかの時点でその人なりのすご い能力を発 揮されて, 現代までに名を残しているということである.
 「人に歴史あり」.結局のところ,人間はその時その時に,その能力を一生懸命に発揮することが大事なのだと感じている.

図:初宿 ワールド2005?.今年はN学芸員(第四紀研究室),S学芸員(植物研究室)との合作.関連記事はこ ちら


●手つかずの自然 に魅せられて (050708)
 所属している野尻湖昆虫グループの夏合宿が,北海道・十勝地方で開かれた.非会員含めて9名の参加があった.
 むかし北海道に住んでいたことがあるといっても,やはり関西に戻って12年経つと,当時は気づかなかったこともたくさん見えてくるようになったようだ.
 大和川という日本一汚い川の調査プロジェクトに携わるようになってから,河川環境について関心があるのであるが,大樹町で太平洋に 注ぐ歴舟川には非常に感激した.国道の橋から見えるものは,自然な流れと自然な河原と自然な河畔林のみ.内地なら護岸のひとつぐらいあるところだが,それ が何もないのであ る.
 もちろん,護岸や治水工事にはそれなりの理由があって施されているのであろうが,このような何もない自然な川を見ると,非常に感動を覚えてしまった.心 いやされる一瞬であった.

湿原に飛来したタンチョウ


●人間の限 界は? (050621)
 オリンピックの陸上や水泳で,世界新記録が出たと聞くと,人間の限界って,どこまでなんやろか?と考える. 100mを9秒なんぼかで走るのは確かにすご いが,まあ言ってみても,人間のできることの範囲内である.イチロー選手のヒットの数もすごいが,これも人間の範囲内.総理大臣の仕事が忙しい(新聞に逐 一,前日の行 動が載っている)といっても,これも人間の範囲内なのだろう.
 このところ,するべき仕事量が処理能力を大きく上回っている.とくに先々週の始めから先週末にかけて,ほぼ2週間,休暇なし且つ早朝から晩遅くまで超多 忙の日々が続いたので,ハイテンションを超えて,一種トリップした精神状態となっている.頭の中を自作のメロディーが流れている(ミュージシャンが薬物に 頼って,音楽を作ろうとするのは,こういう理由だろうか?).
 私のやっている仕事があまり評価されていないことを認識される事件も,年度初めに起こったりしたが,いまの仕事量は私の処理能力の如何に関わらず,人間 の能力以上のものであると思っている.ときどき,いわゆる過労で肉体的・精神的にダメージを受け,命を落としてしまう人がいるが,これらをすべて,真面目 にこなそうとすると,確かにそうなってしまうのだろうと思った.
 幸か不幸か,私は不真面目である.というわけで,私に仕事を依頼しながら,まだ連絡をもらっていない方,どうか,ご容赦ください.

●春はあけぼの=季節の中で (050315)
 ここ数年,日本古来のものに関心を持っている.以前は「古くさい」「閉鎖的(島国的)」「封建的」と言われてい るものばかりであったのであろうが,日本の文化は決して,そんなものでもなかろうと感じている.
 私は滋賀県の大津から,大阪・長居の博物館へ片道2時間近くかけて通っているが,博物館には学芸員の中で朝1番に到着し(4時過ぎに起床,6時過ぎに家 を 出て,8時過ぎには職場に着いている),家に着くのは(いろいろ仕事もあって)午後9時とか10時.とかいう生活をしている(家で何をしているかといえ ば,寝ているだけである).
 ほぼ毎朝,同じ電車に乗っているのであるが,日の出の時間の差異と季節のすすみ具合というものは,嫌が応でも感じてしまう.冬至の頃は真っ暗だったの に,夏至のころはすっかり明るい.春分のころは,ちょうど瀬田川の向こうから,美しい日の出の瞬間を拝むことが出来,まさに「春はあけぼの」がおかしい (美しい)と思えるのは,日本人でよかったと思える瞬間のひとつである.
 国語(古文)の教科書に出ていた清少納言の文章,春はあけぼの,夏は夜,秋は夕暮れ,冬はつとめて・・・は,確かにそうではないかと,今になって思って いる.高校生のころ,新聞配達のアルバイトの身分には,早朝の積雪は大好きだった(明るいから).蒸し暑い夏の夕涼みや花火見物のわくわくした気持ち,涼 しい秋の夜長の虫の音の奥深い趣・・・.日本の四季は,確かにこれらの時間が最も美しい.
 めぐるめぐる季節の中で,あなたは何を見つけるだろう〜?

●お寒し年末年始(050112)
 年末には恒例の野尻湖昆虫グループの合宿が大阪の博物館であった.今年のテーマはオサムシだった.
 むかし日浦勇さんを中心に,オサムシをしらべる研究グループがあったため,博物館にはかなりの数のオサムシ標本がある.この標本の整理を同定勉強会と兼 ねてやってみようというものである.5〜7人で3日間ほとんどを費やしても作業が終わらず,結局は私ひとりで1日追加して作業することにした.
 結局,オサムシの標本は何とドイツ箱で160箱にもなることが判明した.かなりぎっしりと入っているものがほとんどなので,1箱120点ほどと見積もっ ても,約2万点のオサムシ標本があることになる.この点数はおそらく日本一ではなかろうかと思う.
 オサムシ研究グループの人たちが熱心に調べていたのが主に近畿地方であったため,近畿に産する普通種が特に多く,中でもオオオサムシはドイツ箱30箱, ヤコンオサムシでも22箱にもなることが判明した.
 幸いなことに,オサムシ類のほとんどの種が日本固有なので,あまりにも多い種類については,外国の博物館向けの交換要員として,博物館のコレクションの 充実をはかっていこうかと考えている.
 ちなみに,ドイツ箱数のトップ9は以下のようであった.参考のために記しておく.やはり近畿のものが多い.
OMNH オサムシ標本
点数の多いランキング
(基準はドイツ箱数としたが,体長の大きさが異なるため,実際の標本の多寡とは異なる可能性がある)
1位
オオオサムシ 30箱
2位
ヤコンオサムシ 22箱
3位
マイマイカブリ 18箱
4位
オオクロナガオサムシ 12箱
5位
マヤサンオサムシ 10箱
6位
クロナガオサムシ 8箱
7位
イワワキオサムシ 7箱
8位
コクロナガオサムシ 6箱
9位
アキタクロナガオサムシ 5箱


2004年

●日本の美,再発見(その2)(041113)
●イノ セ ント・チルドレン(040806)

●ぷぅ〜ボタン(040722)
●多国籍隊(040614)

●痛い風に吹かれて(その2)(040429)
●痛い風に吹かれて(040329)
●世界にひとつだけのページ(040204)


● 日本の美,再発見(その2)(041113)

 近畿地方はどこまでを指すかは定かでない.三重県や徳島県,時には福井県も近畿に入れられることがあるが,一般には2府4県(大阪,兵庫,京都, 滋賀,奈良,和歌山)が確実な近畿地方であると思われる.
 このエリアは古くから日本の中心だったわけで,日本史に登場するいろんな地名が身近に存在している.このことは近畿に生まれ育った人間には,さほど感じ ないのだが,他の地域から来た人にとっては,とても驚きだという話を聞いたことがある.
 それなりに齢を重ねてきたためもあるのだろうが,日本という国の歴史の深さや美しさに,今さらながら気づかされることがある(こ ちら).今年は7月にヒメハルゼミの行事,11月に地域自然誌「奈良公園」の行事を担当したこともあって,古都・奈良を歩く機会ができたのだが, 奈良の街の美しさは,また格別だと思った.
 もちろん,京都にも多くの社寺があって,とても魅力的なのだが,それなりに人口も多く,全体としてはやや近代的な雑然が入り交じっている感じがある.そ の一方,奈良は上代の面影を,そのまま残しているのではないかと思うぐらいの街の佇まいである.ふりさけみれば,三笠(御蓋)の山に月が昇っており,東大 寺の巨大な甍は,若草山を背景に夕日に照らされている.折しも開催されていた正倉院展(奈良国立博)の宝物の数々からも,このような古えの時代への思いを 深くさせられてしまった..
 そして,ひとりのナチュラリストとして忘れてならないのは,やはり春日山原始林の存在である.この森に入ると,木々が「自然はそのままの姿で,後世に受 け継いでいくべきものである」とささやきかけているような感じがする.
 このような素晴らしい森が,古都・奈良の一部として存在しているのは,古えから受け継いできた日本人の自然観を象徴しているような気さえするのである.


紅葉の美しい春日山.


●イノセント・ チルドレン(040806)

 6月に長野県や山梨県へ行ったあたりから,多忙を極めている.7月から8月にかけては,休暇どころか,寝る時間もまともにとれないぐらいだ.

 そんな中であるが,自分の研究であるところの野外調査もきちんとしなくてはならない(私の材料はハナノミ,セミなど,真夏の虫が多いのだ).そん なこともあって,行事や雑用などの間をぬって,少し無理をして野外調査にも出かけている(あまり多くはないが・・・).

 移動時には主にラジオを聴いているのであるが,NHKラジオ第一の「夏休み子ども科学電話相談」が面白い.というのは,いつも博物館にかかってく る電話と似たような質問が多いからだ.そもそも,電話での相談というのは,相手の顔が見えない(理解したかどうかが分からない)し,こちらの手元の資料を 直接見せるわけにもいかないので,すべて言葉で説明せねばならない難しさがある.また,子どもの質問というのはとても素朴で,そうであればあるほど,答え は難しくなるものなのだ.

 質問内容によっては,「んん,なるほど,こういう時はこう答えるのか!」と思ったりする反面,いくつかは「それはちゃうやろ?」とか「その説明や 言葉づかいでは難しくて分からんぞ」とか,つっこんでしまったりもしている.

 内容そのものよりも,講師の先生方の気持ちがよくわかって,とても楽しむことができた(まぁ,こういう聞き方をしている人も少ないでしょうけ ど・・・).


●ぷぅ〜ボタ ン(040722)
 今年も特別展の季節である.今年は貝がテーマだ.今年こそ関係がない.

 しかし,またまた,主担当者から「何かつくってくれ〜」と頼まれた.初宿ワールドは特別展の恒例になりつつあるのだろうか.

 今年は解説書編集担当(動物研のWさん)らと相談し,いま流行りの「トリ●ア」で行くことになった.貝に関して「へぇ〜」という雑学豆知識を集め て,囲み記事的に展示しようというものである.まぁ要するに,また今年もパクリである. 

 それにしても,予算もないのに,動くor手にとれる系の展示をつくるというのは,端からの見た目以上に,非常に労力がかかるものである.そのわり に出来が安っぽいから,とてもくやしい.いちおう,「へぇ〜ボタン」も手作りで製作したのだが,いつ壊されるか心配である.(なお,「へぇ〜」とは鳴らず 「ぷぅ〜」と鳴る.しかし,押した回数はカウントできるのだ!−構造は秘密).

 「トリ●ア」のネタそのものは,主担当者らとWさんがまとめたのだが,都合31カ所もあり,その手作りの作業に非常に労力がかかった.博物館に3 日間も泊まり込んでしまった.

 来年こそお休みだ.

初宿ワールドの変遷
特別展(年度)
テーマ
内容
都市の自然(1998) 家の中の虫 家の居間の造作+害虫の拡大模型
レッドデータ生物(2001) トロぴかる 熱帯地方のレッドデータ生物と人間の関わりを,寿司屋のマネキンを通して語る
植物化石(2002) カーボニフェラスパーク 石炭紀のシダの森+めくり式の声の出るクイズ
鳥の巣(2003) この巣なんの巣 ブラインドを使って2面を見せる(表が巣の写真/裏に解説)
貝の不思議(2004) 貝のトリビア めくり式クイズ(一部)と「ぷぅ」ボタン


●多国籍隊 (040614)
 先だって,アメリカと中国の研究者から,「日本で野外調査をしたいので,調査旅費を全て出すから手伝ってほしい」と頼まれた.主には長野県や山梨県での 調査が中心となるようだが,私自身もあまり行ける機会がないエリアだったので,忙しい中だったが,受けることにした.

 彼らを関西空港に迎えてから約1週間,日本での野外調査を手伝ったが,その間は,日米中の三カ国の三人による珍道中であった.私というキャラク ターなので,それなりにギャグを飛ばすことも多かったが,私自身,日本人でありながら,日本人の風習について知らないことも多く(たとえばパチンコがなぜ 日本に多いのか,杉の植林が山林の中心になっているのはなぜか,神社とは何ぞや?,お地蔵さんは何の宗教か?など),昨年の京都観光(こちら)と同様,母国を再認識する旅となったようだ.

 調査そのものは非常に多くの成果を得ることができ,私自身の研究業績にも部分的にはなるようで,ありがたいことである.

 これまで韓国やロシアなど,外国に行って,相手国のお世話になるばっかりだったが,このように自分がお世話をする立場というのはあまり多くなかっ た.その大変さを知ると同時に,自分の国の誇りというものも認識できるようになったように思っている.
富士山五合目(スバルライン)より頂上を望む


●痛い風に吹か れて(その2)(040429)

 痛風の発作は結局,1回きりで,その後は日々治癒していった.しばらくは下りの階段がつらかった が,それも不自由なくなり,1ヶ月たった現在では,高いところから飛び降りたりしない限りは,フィールドワークもほぼ大丈夫である.

 私に痛風が発症したと聞いて,「あぁ,虫の祟(たた)りやで〜」と言った人が何人かいた(妻ふく む)が,私はそんなに虫に祟られるほど仕打ちをしてきたかなぁ〜? こんなに強い関心を持って,つきあっているのに・・・.

 毎日の生活で最も変わったのは,禁酒をしていることである.「いつまで続くか?」と自分でも思った が,何と1カ月も続いた.最近の血液検査では尿酸値のみならず,中性脂肪やγ-GTPなどの値も正常の範囲に近くなった.内科医から「酒を解禁」の言葉が 出るかと思ったが,残念ながら「禁酒はしばらく続けなさい」と言われてしまった.

 禁酒というのをやってみて,いくつかメリットがあることがわかった.

 ひとつは,当たり前であるが,二日酔いがないことである.朝は通勤電車の中から,しんどそうなサラリーマンを横目に,清々しく仕事を始めることが できている.

 もうひとつは,経済的なことである.以前,友人と飲みながら「1年に酒代はなんぼ掛かっているのかなぁ・・・」などと話していたことがあったが, 実際に1日1本ビールを飲んだとして,1カ月に200円×30日=約6千円,年間に7万円以上もの金額をかけてきたのだ(しかも,それだけではすんでいな いはず).

 体重も1カ月に5キロほど減少した.8年前の「夢の60キロ」(こちら) も夢でなくなってきたと思っている.(ちなみに禁酒前は79キロだった.引き算をしてみよう.道のりは少しあるので,夢でなくなったというのは尚早か な・・・?)


●痛い風に吹 かれて(040329)

 先だってから,ヒザが痛くなった.特にひねったりした記憶もないので,原因不明であった.

 どんどん痛みが増すので,外科医に駆け込んだところ,痛風であろうとの診断であった.血液検査から 尿酸値が高く,発症の可能性が言われていたので,まぁある程度は納得するしかない.しかし,なかなかの激痛である.特に,原因がわからないうちはビールを 飲んだりしていたので,それからしばらくするとガンガン痛みが増し,全く動けない状態になってしまう.普段でも,階段の上り下りやイスに腰掛けるのも, じっくりと様子を見ながらなので,まことに不自由だ.

 学芸員という仕事はフィールドワーカーであるだけでなく,屋内でもあちこち動き回ったり,重い物を 運んだりする仕事なので,これからいろんな場面で支障がでるのは間違いない.身近にも危なそうな人がいるので,自分の経験を伝えておこうと思っている.

 痛風は,酒の量が多かったりすることが直接の原因であろうが,やはりストレスが最も大きいらしい.

 ストレスをもたらしている原因を取り除きたいが,それはなかなか難しい.35歳という年齢でありな がら,このように身体にまで支障をきたすとなると,いろいろ考え込んでしまう今日このごろである.


●世界にひとつ だけのページ(040204)

 博物館がインターネットに接続したのが1997年.その同じ年にいち早く個人HPを開設したから, 早いものでこのページも8年目に入ったようだ.最初の日記が同年9月25日に記されている(当時の「体重ネタ」が懐かしい→こちら).

 現在では画像も含めて,約400ものファイルが,このサイトに入っている.恥ずかしながら,永らく更新していないページもある(すっかり自分では 把握しきれなくなっている!).

 HPの利点は,求めている情報を瞬時にやりとりできる点である.私の持っている情報から何か知ってもらったり,逆に他の人のページから教えても らったり・・・.これが世界規模で瞬時に行われるのだから,世の中,便利になったものだとつくづく感じる.

 最近気づいたのは,この個人HP(とくにこの日記ページ)が,「私」という人物の多角的な紹介になっていることである.初対面の人でも,比較的親 しみを持って接してきてくれるのは,きっと,くだらないことがたくさん書いてあるからにちがいない.これは常に市民と接している博物館学芸員という仕事の 上では,大きな利点になっている.

 人間,やはり個性は尊いのだ.

 世界にひとつだけのページ
 ひとりひとりちがうネタをもつ
 コンテンツを増やすことだけに
 いっしょけんめいになればいい

 いや,そんなことはない.本業の研究もしよう.


2003年

●ニューヨークか大阪か(031223)
●野口って誰?(031026)
●飛島紀行(030804)
●この巣なんの巣?(030720)
●そ〜うなんです(030531)
●日本の美,再発見(030415)
●氷河時代にタイムスリップ(030401)
●「大阪自然史フェスティバル」を終えて(030324)
●ソウルフル・ソウル soulful Seoul(その2)(030313)
●地球の一生物として(030214)
●最近のランキング2003(030126)
●自分らしく(030107)



●ニューヨークか大阪か(031223)

 先だって,アメリカのニューヨークへ行く機会があった.世界情勢がやや不安定な中,プライベートな旅行であった.

 ちょうど,松井稼頭央選手のニューヨーク・メッツへの入団が決まったこともあり,ニューヨークへ出掛けると聞いて,「メッツと契約か?」などと冗 談を飛ばす人もいた.でも,僕は来季も大阪で働く予定である.

 家族の許しを得て,1日だけアメリカ自然史博物館(AMNH)で仕事をした.1995年に来たときは展示を見ただけであったが,今回はあらかじめ スタッフに連絡して,裏方へ入れてもらった.世界第4位の昆虫標本数を誇る大規模博物館で,アメリカ国内の甲虫相をざっと見ることができ,有意義であっ た.

 地下鉄などに乗っていて興味深かったのは,ニューヨーカーたちはエスカレーターで右側に立つことであった.どちら側に立つかは都市によって異なっ ていて,東京は左,大阪は右である.同じ関西圏でも,どういうわけか,京都は東京と同じ左が多いようだ.

 ニューヨークは大阪と同じであるが,他都市ではどうなのだろうか.

マンハッタンの夕景.

ニューヨークで買った入浴剤.西洋の街の雑貨屋にはテントウムシグッズが多い.

(関連記事はこちら


●野口って 誰?(031026)

 プロ野球・阪神タイガースが18年ぶりのセリーグ優勝を果たしました(これを書いている現在は日本シリーズ3勝2敗).
 大阪市立自然史博物館では年末まで,「阪神優勝記念 虎づくし展」というのを開催しています.「トラ」や「Tigerタイガー」と名のつく生物や岩石が ズラリと並んでいます.その他,アカホシ(赤星)テントウ,ヤノ(矢野)トラカミキリなど,主な選手名がつくものも含めています.
 昆虫をリストアップしてみたところ,200種以上にものぼりました.しかし,標本は意外に探しても見つからないもので,結局,斜面ケース1台分(ドイツ 箱5箱)を埋めるだけで終わってしまいました.
 それと,由来を示そうとしたのですが,野口選手つながりで出したノグチアオゴミムシの野口っていったい誰だろう,という問題にも直面しました.学名はnoguchiiで 1873年にBatesが記載した種類です.原記載に当たれば何らかの情報は得られたのでしょうが,結局は時間切れで「人名に由来する」と示してごまかし てしまいました.


●飛島紀行 (030804)

1.最上川と酒田市
 明け方からの大雨で,洗濯物はびしょびしょになってしまったようだ.6時半から出発の準備をし,7時45分に荷物をそろえて宿を発つ.
 飛島行きの船の出帆時刻は8時45分で,あと1時間あるのだが,その前に装備の荷物を送ったり,レンタカーを酒田駅に返却したりせねばならない.折し も,酒田市内の南北方向の幹線道路は渋滞に見舞われた.この町は地理的に,東西に流れる大河,最上川が交通の流れを遮断する構造になっているからだ.雨の 天候も災いしているかもしれない.大きな川があると,どうしてもこうなってしまう.大津でも瀬田川があるために,いつも周辺は渋滞気味である.
 ここで一句.

  自家用車 集めて遅し 最上川(※1)

2.酒田港にて
 渡河の後,車はスムーズに流れ,8時10分ごろに酒田駅に無事に到着した.飛島へは日帰りなので,採集の道具だけを携え,あとの荷物はコインロッカーに 放り込んで,タクシーに乗り込んだ.
 何とか出航の20分ほど前に港についた.切符を買って船に乗り込むが,船内は林間学校の類の小学生らとボランティアスタッフのような若者がたくさんであ る.中には,地元の人の車やバイクもいくつか積み込まれており,やはり,これは島民の生活航路なのだと実感させられた.
 携帯電話でメールを打っているうちに,船は静かに酒田の港内を進みはじめていた.雨は降り続いていた.
 同行の大学生2人は,船からの眺めを楽しむことなく,眠りについていた.
 ここで一句.

  夏草や 若者どもは 夢の中(※2)

3.飛島へ到着
 テレビのワイドショーなどを見ているうちに,やがて島へ到着とのアナウンスがあった.いつの間にか目前には,港のまわりに立ち並ぶ民家と,緑濃い森が見 えていた.飛島に着いたのだ.
 港のある勝浦地区では,背後にタブノキの鬱蒼とした森がある(写真).緯度が高いにも関わらず,暖流(対馬海流)のおかげで,この島には照葉樹林が発達 しているとのことだ.最終氷期に朝鮮海峡が狭隘になったとき,この島はどんな植生だったのだろうか.
 ここで一句.

   飛島や ああ飛島や 飛島や(※3)

飛島の林内

4.クロマダラカメノコハムシとミンミンゼミ
 雨はまだ降っていた.しとしとでもなく,かと言って強くもない.普通の雨であるが,調査には邪魔である.特に今回はクロマダラカメノコハムシ(食草:ヒ ルガオ)が最もメインの目的であるので,スイープができなければ,なかなか厳しいものがあろう.
 島の稜線に上がってみると,タブノキや松の茂る鬱蒼とした森であったが,西側へ降りてみると,やがて草原が見えてきて,オニユリやトビシマカンゾウなど の花が咲きほこっていた(写真).雨も上がって,潮の香りをのせた風が涼しく,実に心地よい.
 道端に食痕の多いヒルガオも目立つようになり,ネットで下で受けながら,ヒルガオの蔓を揺らしてみる.何度かトライした後に,ようやく念願のクロマダラ カメノコハムシがネットに入った(写真).同じヒルガオには(ナミ)ジンガサハムシも混生しているようである.
 Mさんから「ミンミンゼミを捕まえて胸部の斑紋を調べてほしい」と言われていたので,雨が上がった午後に,稜線部の森でセミをさがしてみようと考えた. しかしニイニイゼミのぬけがらを1つと鳴き声1匹,ミンミンゼミもはるか遠くで鳴き声を1度聞いただけで,結局,捕獲して模様を確認とまでは行かなかっ た.
 ここで一句.

  閑かさや 島に住み入る 蝉とれず(※4)

トビシマカンゾウ
クロマダラカメノコハムシ

5.トビシママイマイ
 午後2時半から,港の近くの食堂で遅い昼食(ホッケ開き定食)をとった.やがて大学生の2人も帰ってきて,いっしょにサザエの壺焼も食べた.
 帰りの船の時間(4:00)が近づいてきたので,港へ行くことにする.港の前にある遠賀美神社の境内でカタツムリを3匹みつける.どうやら食堂のポス ターに「トビシママイマイ」として紹介されていたもののようだ.左巻きのカタツムリで,種か亜種かわからないが,飛島に来なければ会えないものらしい(帰 阪後しらべたところ,独自の亜種になることが判明→※写真キャプション参照).
 わずか日帰りでの滞在であったが,飛島の自然の魅力に取り憑かれてしまった.いつの日か,また来てみたいものだ.
 最後に一句.

  虫に病んで 夢は飛島 かけめぐる(※5)

トビシママイマイ

※普通のヒダリマキマイマイでは?というご指摘いただきました.ありがとうござい ました.

注釈:念のためですが,発句はオリジナルではありません.
※1 五月雨を集めて早し最上川(芭蕉:おくのほそ道:1689年)
※2 夏草や兵どもが夢の跡(芭蕉:おくのほそ道:1689年)
※3 松島やああ松島や松島や(芭蕉の句とされることもあるが,実は後世に作られたものらしい)
※4 閑かさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉:おくのほそ道:1689年)
※5 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる(芭蕉:笈の小文:1694年)


●この巣なんの 巣?(030720)
 今年の特別展は,鳥の巣がテーマだ.今年こそ関係がない.

 しかし,なぜか今年も主担当者から「何か作ってくれ〜」と頼まれてしまった.「クイズ形式で・・・」ということだが,年々アイディアが乏しくな り,なかなか前に進まない.

 せっぱ詰まって,ようやくひとつのアイディアが出てきた.ブラインドを利用して,クイズの問題と答えを見せようというものである.

 某ブラインドメーカと相談して,特注のブラインドがやってきた.そのスリット1枚ずつに図柄を貼っていき,動作を確認して,展示室に張り出した. (完成はプレスリリースの直前だった!)

 しかし,光の具合やスリットの曲がり具合もあって,あまり満足いくものができなかった.

 これまで,初宿邸,とろぴかる亭,カーボニフェラスパークと「初宿ワールド」を作ってきたが,今年の出来は過去最低だ.というか,年々しょぼく なっている印象さえある.

 来年こそは休みだ.


●そ〜うなん です(030531)
 甲虫界では各都道府県に何種の甲虫がいるのか,競い合う(?)のが一部で流行っている.地域の自然を地元の者が解明するということで,いろんな意味で有 意義なことである.

 大阪府での解明度の低さについては述べたが(こちら),関西 でもっとヒドイのは滋賀県である.大阪よりもはるかに豊かな自然があるが,自然科学のレベルが低いせいか,人口が少ないせいか,大阪府よりもずっと低い解 明度に甘んじている.某氏によれば,滋賀県のゾウムシの記録は10数種しかないらしいらしい(ゾウムシ類は日本で1,000種なのに・・・!).滋賀県出 身・在住の人間としても,非常に恥ずかしい気持ちを持っている.

 滋賀県・絶滅危惧生物リスト(レッドデータブック)の甲虫部門のメンバーにも入ってしまったこともあり,ここしばらくは滋賀県での調査をすすめて いる.

 先だって,鈴鹿山脈へ足を踏み入れた.あまり遠出する家に育たなかったため,初めての踏査であった.三重県の湯の山温泉から御在所岳を経て(もち ろんロープウエー),滋賀県側へ下山しようと思ったのだが,あまり使われない登山道であるためか,神崎川から永源寺方面へ下る道は荒れ果てており,ところ どころに道がない.登山マップには記されているにも関わらずである.ヤブこぎや河原の石渡りを繰り返しながら,何とか日没までには人里(永源寺町杠葉尾) までたどりつけた.

 立派な遭難?.そ〜うなんです.


●日本の美,再 発見(030415)
 スペインでハナノミを調べているという人から,日本に行く機会があるから博物館に寄りたいとのメールがあった.まだあまり実績のない人物らしいが,ハナ ノミなぞというマイナーな仲間を調べている人は世界に両手ぐらい?しかいない.世界に60億人もの人間がいる中で,話の合う数少ない人間のひとりである.

 関西空港到着の日には,博物館で第1回「世界ハナノミ・サミット」が開かれた.といっても,日本から私含めて3人と彼と彼の奥さんの5人である が・・・.

 翌日には特に奥さんの強い希望?で,京都観光と相成った.滋賀県で生まれ育ち,今も在住して,京都を飛び越して大阪へ通っている私であるが,京都 の観光地なるところには行く機会はなかなかないものだ.金閣寺は幼少のころに行ったことがあるだけで,実に30年ぶりである.竜安寺,仁和寺,大原三千院 などは生涯初めて訪れることとなった.

 子どもの頃には,ただの古くさいものとしてしか受けとめていなかったが,この歳になって見ると,何と美しいものかと思った.春霞とまがう桜の山 々,いにしえの伽藍の甍,コケのむした石庭,心おだやかな仏の御顔・・・.余計な派手さの無さがまた非常にいい.

 スペインの来客も喜んでくれたようだが,もっとも感激したのは間違いなく自分だ.

 日本の文化は大したものである.もっと誇ることにしようと思う.

桜満開の某所


●氷河時代にタ イムスリップ(030401)
 3月を振り返ってみたが,何という忙しさだったことか.韓国出張(3/1-7),ハムシ室内実習(3/8),自然史フェス(3/21-23),そして野 尻湖発掘調査(3/25-31),その間も雑用雑用で,まさに殺人的スケジュールだった.それをすべてこなしきった今,ある種の安堵感と脱力感に満ちてい る.(いや,こなしきってない.積み残しが・・・.あぁぁ・・・.)

 最後のヤマ場だった野尻湖の調査では,前回の発掘(第14次:2000年)を大きく上回る昆虫化石が産出し,忙しい中で参加した成果はあったよう に思う.また研究面のみならず,多数の参加者に昆虫化石を見つけてもらい,このような研究があるということを知ってもらったことも,普及という面において 意味があっただろうと感じている.

 このように氷河時代に堆積した地層の野外調査をしたあと,せっかく信州まで来たので,どこかに立ち寄ろうと思った.3月の殺人的スケジュールを, 少しでも癒したい気持ちでいっぱいだった.

 いろいろ悩んだ挙げ句,結局,行き先に選んだのは,千畳敷カールである.中央アルプス・木曽駒ヶ岳に形成されたU字谷(氷河地形のひとつ)で, ロープウェーがあるので,冬季でも冬山の装備なしに訪れることができる.

 JR飯田線の駒ヶ根駅から接続する最終のバス・ロープウェーとも,乗客は私1人である.街でどんよりとした天気は,ロープウエー乗り場(しらび 平)では雨となり,ロープウエー下車駅(千畳敷:標高2,600m)では雪となった(しかも,北海道でよく見た,体に染みつかないサラサラの雪だ).

 疲れ切った身には,夕食後すぐに爆睡となったが,野外は地吹雪のようで,ときおり吹く強い風の音に目を覚ました.

 朝日に気づいて窓を開けてみると,見事な快晴で,目の前に千畳敷のカールが横たわっていたのには感激した.夏には高山植物が咲きほこるというが, 今はきっと,この厚い雪の下で眠っているのだろう.東には南アルプス連峰,さらに富士山の姿も見ることができ,幸運にも美しい眺望を楽しむことができた.

 氷河時代へタイムスリップした旅は,今後の研究にも有意義な経験だっただろうと思っている.

左:ロープウェー千畳敷駅前からの氷河地形,右:駒ヶ根市街地から木曽駒ヶ岳を望む.中央やや左にロープ ウェー終点が見える.
とがった山はいずれも宝剣岳.


●「大阪自然史 フェスティバル」を終えて(030324)

 自然を対象にしている団体は公あるいは任意を問わず,世の中にはたくさん存在する.それらが一堂に会して・・・という「大阪自然史フェスティバ ル」というイベントが3月21日〜23日の3日間,大阪市立自然史博物館で開催された.

 私自身はおもに,ポスター制作(イラスト部分はMさん)と懇親会を担当をし,また自分自身もブースを2つ制作した.何とか大きな失敗なくこなせた かなぁと思っている.

 開催後,参加の各団体からは「よかった,よかった」という声が多く,また私たちスタッフも充実感で満ちている.

 相互作用によって,1たす1が2以上になったりするのが,人と人のつながりというものであろう.試みとしては非常に有意義だったと思う.今後も継 続していければと願う.

 しかし,その間隔をどうするかが問題だ.毎年というのはキツイでぇ〜〜.

 今後どうしていくかは,みなさんの率直なご感想が手がかりです.佐久間学芸員または橘さんまでお寄せ下さい.初宿でもいいです.


●ソウルフル・ ソウル soulful Seoul(その2)(030313)

 3月上旬の1週間,韓国へ出かける機会があった.

 福岡へ立ち寄る必要があったため,今回は念願だった船での渡航である.

 博多港からの高速船で,釜山(プサン)まではわずか3時間.大阪から東京へ新幹線で日帰りすることを思えば,博多からなら釜山も日帰り圏である. 実際,対馬の人たちはその昔,映画など都会の文化を味わうのに,プサンへ日帰りしていたという.

 高速船は対馬北部のすぐ東側を通行する.後方に対馬の島影が遠ざかると同時に,前方から朝鮮半島の島影が見えてきて,その距離の近さを実感でき た.大陸から日本へ様々な文化がもたらされたが,その経路の大部分がこの道だったのだと思うと,感慨深い.壱岐訪問のときと同様,大昔から船で往来した人 たちのことを思った.

 なお,釜山のあとは,韓国国鉄の特急セマウル号で水原(スーウォン)へ移動し,最後にはソウルにも滞在した.初めて大阪から飛行機を使わずにソウ ルまで行ったことになる.滞在期間中は韓国人研究者たちの多大なるお世話になり,調査研究そのものも大きな成果があった.感謝の気持ちでいっぱいである.

 ワールドカップ日韓大会のおかげかどうかわからないが,日韓は確実に近くなっていると感じた.

ソウルフル・ソウル(その1)はこちら.

釜山市街地

(高速船より).


●地球の一生物 として(030214)

 私事ながら先だって,2人目の子どもが産まれた.今回,その誕生の場面というのに,初めて立ち会った(前回の時は中国へ出張していて,誕生を知っ たのは2日後だったのだ・・・).

 一昨年は祖父が,昨年は祖母が亡くなったりしたが,一方でこうして新しい命が産まれてくる.別に当たり前のことなのだが,自分自身の身にこのよう なことが起こると,特別な感慨がある.地球に生命が誕生して以来,こうやって命はつながってきたのだ.

 一応,生物学者の端くれで,生物の形態や生態,行動における理や意味など,いろんなことを習ったり調べたりしてきたが,自分の血のつながった命が この世に産まれてくるというのは,やはり客観的な解釈なぞはできない.理屈抜きに,やはり自分の子は可愛いものなのである.

 よって,親バカ年賀状を出してしまうのは,地球の一生物として,仕方のないことなのである.

 最近,筆者の通勤手段の電車が止まることが,頻繁になっているようだ.多くは人身事故(飛び込み自殺)のためのようで,深刻な不況でやむを得ない のかもしれないが,やはり命は大切にしたいものだと思う.


●最近のラン キング2003(030126)

 昨年(こちら)にならって,今年も最近のランキ ングを発表しよう.

●メーリングリスト[omnh]の2002年の発言数ランキング= 今年はランキングの発表がなかった.私のランクインはあり得ない.なぜなら3回しか発言していないからだ.虫ネタはすっかり冷え切っている.何でだろ う〜?
●友の会総会バッチコンテスト=出品せず.昨年は3位(同率)入 賞しましたが,今年はネタ切れ.
●友の会総会Tシャツコンテスト=コンテスト3年目の今年は,出 品した3作品のうち,タイトル「カーボニフェラス・パーク」が22作品中の5 位でした.「マチカネワニ」が 同6位,「進化と多様性」が10位でした.去年は1位(同率)だったが・・・・.今年は一般入館者からも投票してもらったので,一般ウケしそう なものが上位入賞した印象で,マニアック路線の私には不利!(←負け惜しみ).ちなみに,22作品中,7作品が学芸員の作品.T学芸員(地史研究室)の ティラノザウルスが3位入賞して,館内ランキングでも2位に転落.
●自然史講座の観客動員=今年度は担当がなかった.
●HP訪問件数は相変わらず発表されていないが,まぁライバルは W学芸員(動物研究室)ぐらい.2位以内は確実.
●年間公表論文・報文数=まぁライバルはN学芸員(第四紀研究 室)ぐらい.これも2位以内は確実.
今年のTシャツコンテスト出品作品
(特別展示室で3月下旬まで展示中です)

カーボニフェラス・パーク

 2002年夏の「化石からたどる植物の進化」展で作った展示がテーマ.ジュラ●ック・パークのパロディで,さらに1億年以上 さかのぼった3億年前(石炭紀)のシダの森を再現.メガネウラが飛び,水辺にはイクチオステガ,地上にはゴキブリ.

 得票79票で,第5位入賞.

マチカネワニ

 大阪市立自然史博物館のオリエンテーションホール壁面にある象徴的な展示.

 「(派手好みの)初宿にしてはシンプルすぎる」という意見あり.

 ミュージアムショップの買い物バッグで,このデザインが使用される予定.

 得票54票で,第6位.

進化と多様性(その1)

 頭文字の枠の形が,四角→六角→丸→三角と変化しているが,これが「進化」を表している.

 恐竜(古生物),トンボ(昆虫),カメ(動物),ナデシコ(植物)が「多様性」を表している.

 「わかるか〜」という意見あり.

 大阪市立自然史博物館の入館記念スタンプに使用される予定.

 得票39票で,第10位.

進化と多様性(その2)

 新しい入館記念スタンプが2つ,博物館入口に設置されました(030218).左が筆者デザインの「進化と多様性」です(他 方はT学芸員デザインのティラノザウルス).

 「コースターにしたい」という意見あり.

 「1万個買ってくれるなら製作してもいい」とショップ店長の某氏のリアクション.

 冷めた〜.


●自分らしく (030107)

 2003年がやってきた.もう33回目だ.

 一昨年や去年は,「新年など,別にめでたいことも何ともない」と思っていたが,今年は無事2003年1月1日を迎えられたことを,去年よりはずい ぶん感慨深く思っている.

 心新たにしていることが2つある.

 ひとつは「健康」だ.恒例の健康診断(本HPでも話題にした)の結果は,「不健康」が板に付いた学芸員らの中でも最低の結果だった(検診当時は学 会大会事務でたいへん忙しく,不健康な毎日だったこともあるが,それを差し引いても,はっきり言って,誰も笑えないほどだった・・・).結果は厳然として 事実であり,死にかけた友人の入院の姿なども目の当たりにしたこともあって,最近は酒の量は控えめにしている.

 もうひとつは「自分らしく」である.これまで,頭に来ることもじっと飲み込んできたが,これでは自分の身にもよくないと思うようになっている.私 がナメられていることを認識させられる出来事も起こり,このままではさらに健康をも害しかねない.

 「自分らしく生きよう」

 これが自分にも身のまわりにも,よいことだろうと信じる次第である.


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