不均一性と撹乱
 − 農村環境を特徴づける要因のもとでの生物多様性

農業環境技術研究所 守山弘

1. 農村環境モデルの造成

 農村環境は集落樹林、耕地、二次林など多数の要素から構成されている。関東地方では二次林(里山)は集落樹林と共に耕地の中に散在し、不連続のパッチを形成している。これは古くからワタなどの商品作物が導入され、金肥が使用されていた関西地方と異なり、関東地方では自給肥料を必要としたからである。

 農村環境を構成する各要素は固有の生物相を保持するので農村環境は全体として種が多様になっている。しかしそこは人が管理する環境なので、不連続なパッチ内に存在する生物相は人の働きかけによる後退と周囲のパッチからの移動による回復の動的平衡のうえに成り立つ。このような経で生物多様性が保たれるためには、各景観構成要素が生物が移動できる間隔で配置されていることが必要である。

私たちは生物の生存に必要な空間単位と、移動に必要な空間の配置を明らかにするため、農村の基本構造を明らかにし、それに沿った農村環境モデルを造成し、そこに出現生息する生物相を調査するという方法で研究を進めてきた。具体的にはつくば市周辺の平地農村を対象に、集落樹林の間隔、二次林面積などを明らかにし、それに基づいて農業環境研究所の圃場区域(35ha)を実物大の農村環境モデルとし、調査を行ってきた。

2. 水空間の配置

 大地が水源になっているところでは水涸れを防ぐために水田(谷津田)の谷頭部分に二次林を配置するいっぽう溜池をつくっている。この水空間の望ましい配置を明らかにするため、トンボ類とカエル類の移動を調査した。トンボ類は空中を移動するので見ず空間の間の土地利用は移動に影響を与えないが、カエル類は地上を移動するので水空間の間の土地利用に影響される。

 トンボ類として、都市的な環境のもとでは姿を消す植生豊かな池沼型のトンボを対象に、供給可能な距離(移動距離)の調査を行ったところ、1km強移動することがわかった。

 この地域に昔から存在した農業用溜池は、そのほとんどが1km以内の感覚で隣あっていた。この間隔はトンボの移動距離の範囲に収まっているので、溜池の水を落とし泥上げなどの作業を行っても、もとのトンボ相は周囲の池からの移動によって、すぐに回復することが期待できる。実際に用水路を造成した2年後に、そこから900m離れた位置(伝統的なため池の間隔とほぼ一致する位置)に造成した谷津田には、溜池・用水路で多数繁殖している種すべてが2年以内に移動してきている。

 溜池は奈良盆地にもたくさんある。宮本(1994)によると、奈良盆地のため池(皿池)は集落単位で造成されている。それは田植え時や水不足の特に他の集落から水を貰うことが困難なためである。ここでは集落の範囲(大字の範囲)内に必ず1〜2ヶ所の溜池が作られているので、溜池の間隔は集落の間隔よりも短くなってしまう。つくば市周辺でも溜池の間隔は集落の間隔(平均1.3km;山岡ほか,1977)より短い。このことも集落単位で溜池を持たなければならなかったことの反映であると思われる。

 一方カエルについては、地上性のニホンアカガエル・アズマヒキガエルの2種は水空間の間の土地利用が樹林地・畑などの場合は、約1kmの移動が可能なこと、しかし樹上性のシュレーゲルアオガエルの移動を保障するためには樹林地を連続させる必要があることなどがわかった。

3. 二次林の配置

 二次林の望ましい姿は、冬期に山から平地に下りてくる森林性の鳥の相から明らかにすることを考えた肥料(落葉)・燃料を二次林から採集していた時代の林の必要面積は土地面積の25〜30%に相当する。二次林は関東では大地上に散在し、冬に山から鳥が降りてくるときの飛び石の役目を果たしていたと考えられる。つくば市周辺においても1960年代には二次林面積は上記の範囲に収まっていたが、学園都市建設により16%に減少した。1980年代には森林性の鳥の供給源である筑波山、そこから農村を通って学園都市に出会う農村と接点にある樹林(筑波台・実験植物園・宍塚大池)、学園都市内の樹林(工業技術院・気象研究所、洞峰公園)、学園都市を通り抜けた位置にある樹林(農業環境技術研究所)の6ヶ所の樹林の鳥相を比較してみると、森林性の鳥は、冬鳥、漂鳥、留鳥のいづれも、筑波山を離れるにしたがって種数が減ることが分かった。

 1930年代の武蔵野の(東京都の板橋・杉並・三鷹・深大寺を結ぶ地域)には、筑波山もしくは農村と学園都市の接点の樹林で見られる鳥相と同じくらい豊かな森林性の鳥たちが冬になると訪れていた。(中西,1944)。江戸末期(1820年代)にまで遡ると、同じくらい豊かな鳥相が江戸近郊の上野・四谷。目黒を結ぶ地域まで移動してきた(『武江産物志』)。これらの地域はいずれもその時代には都市と農村の接点に位置していた。このことからだ一条に散在する二次林(里山)は、山の鳥が平地へ移動する際の飛び石の役目をしていたこと、この役目を果たさせるためには樹林地率は16%では少なく、25〜30%がその目安になることなどが想定できる。

4. シフティングモザイクによる生物多様性

 各景観構成要素が生物が移動できる間隔で配置されていると、同じ景観構成要素内の生物相は同じ構成になると考えられる。しかし実際の農村環境では各景観構成要素が部分的あるいは全体として時間を変えて撹乱され、しかもその撹乱が数年〜数十年に一度の間隔で行われるのでそのあいだに植生が遷移し、あたかもある遷移段階の植生が移動していくように見える現象(シフティングモザイク)が存在する。この現象が生物多様性を高めていると考えられる例を切り替え畑と溜池で述べてみたい。

 切り替え端は2〜3年工作したあと、林にする農耕様式で、火入れをしない点が焼き畑と異なる。つくば市周辺の大地では1970年代まで、アカマツ林が切り替え畑として利用されてきた。ここでは畑を林に帰るときにアカマツ苗を植えるので、耕作放棄後はアカマツの林になる。こうしたアカマツの林の中には様々な植物が生えている。切り替え畑では林を畑にするときに根株をすべて掘り起こしてしまうので、これらの植物は周囲からの種子供給によって維持されているものと考えられる。

 農村環境モデル内の二次林も切り替え畑だったアカマツ林である。この林は前歴を反映し、畑を放棄したあとでできたアズマネザサの濃い薮から大径木になったアカマツ林の部分、スギ−ヒノキの部分などがモザイク上に分布している。私たちは林内のアズマネザサを刈り取って林を切り替え畑当時の姿に戻し、林内を10mX10mの方形区に分け、それぞれ1.5mX2mのトラップ(鉄枠に寒冷紗を張ったもの)を設置して鳥の糞を集めた。鳥がどんな植物の果実を食べ、その種子をどんな林に落とすかを調べるためである。林の植生は9つの群落タイプにまとめられたが、設置するトラップは108個なので、すべての群落タイプに複数のトラップが設置されている。

 ウド・タラノキ・ヌルデ・スイカズラ・ニワトコ・コウゾ・ナワシロイチゴなど、明るい林に生育する植物の種子は、タラノキ・ヌルデなどの幼木からなる群落(アズマネザサの純群落を刈り取ったあとに出現した群落で、アカマツを植えていない点をのぞけば、切り替え畑を放棄した段階に相当)はもちろん、シラカシ−アカマツ群落(切り替え畑の伐採直前の林に相当)にも散布されていた。このことは、切り替え畑になる前の段階で放棄されたあとの植物種子が用意されていることを意味する。

 一方上記のタラノキなどの群落を含め、すべての群落にヒサカキのように林が暗くなった段階で出現する常緑広葉樹の種子も散布されていた。だから管理を中止するとすべての場所が常緑広葉樹に遷移し、耐陰性の弱い多くの植物を失うと考えられる。

 森林内にギャップが作られ、それがローテーションしていく現象は天然林においても観察されている。Remmert(1991)は、ヨーロッパのブナ林において倒木によって生ずるギャップは0.1〜2haの大きさであると報告している。ヨーロッパの武なるんではこの大きさのギャップがローテーションすることによりブナを極相とする落葉広葉樹林の種多様性が保持されていると考えられる。茨城県の切り替え畑の一筆の面積(1回に造成できる面積)は、1950年の世界農業センサスによると平均10aでこの範囲に納まってしまう。人間は自然林のギャップを肩代わりすることによって種多様性を里山に残してきたといえよう。

5. 池さらいのローテーション

 溜池も数年に一度の割合で池さらいと言う撹乱を受ける環境だが、この池さらいが毎年場所を変えて行われていることがトンボにとって有利に働いているようである。

 農村環境モデルでは都市を変えて一つずつ新しい池を造成しているが、あとからつくった池の方がトンボの個体数が多くなっていく現象が見られた。それは特にオオイトトンボで顕著であった。

 オオイトトンボはどの池でも造成2年目までは個体数が増加していくが、3年目以降は減少していく。これはオオイトトンボが抽水食物がまばらな水面を好むためである。造成初年度の池は泥上げを去れ、水を張られた直後の池と同じ状態である。だから都市を代えて池を作っていくことは、都市を代えて池さらいを行っているのと同じになる。

 このような管理がトンボを増やす働きをすると考えられる理由は、羽化が産卵の翌年になるため、そのあいだに抽水食物が茂ってしまい、自分たちが産卵された池が産卵に適さなくなったということである。もしその池の近くに一年遅れで作られた(泥上げされた)池があれば、そこの抽水食物は自分たちが産卵されたときと同じ状態になっているはずである。そこでオオイトトンボは新しい池に移動し、そこに産卵するだろう。こうしてオオイトトンボは新しく泥上げされた、抽水食物のまばらな池を移動しながら個体数を増やしていくと考えられる。同じ現象が奇異とトンボにも見られたが、このトンボは抽水食物が密に茂った段階で出現しており、両種は池さらいのあとの年数の違う池をすみ分ける可能性のあることが分かった。この現象は種多様化に大きく寄与するものと思われる。

 池さらいのローテーションは植生遷移を元に戻すことのローテーションなのだが、それと同じことが後背湿地でも行われていた。後背湿地では河道から離れるほどに洪水に襲われにくくなる。だからこのような場所にある浅い水辺(その多くは河道跡に残された池沼)は洪水が来ない間は植生遷移が進み、抽水植物が茂る水辺へと変化する。いっぽう今まで河道から離れていたので洪水に会わなかった水辺は、河道が近くに移動してくると洪水に襲われ、植生が振り出しに戻る。つまり後背湿地では河道が近づいたときに洪水によって撹乱されるので、植生豊かな水辺は次々に場所を変えながら植生初期の状態に戻っていくのである。溜池に見られる池さらいのローテーションはこれと同じといえる。

 ごく最近まで原始の姿を保ってきた石狩川では、改修され直線化された現在の河道の両側に馬蹄形の旧河道跡がたくさん並んでいる。本来の河川はこうした蛇行を繰り返しながら流れていた。またその馬蹄形が、少しづつ位置をずらしながら、いくつも重なり合っているところも多い。これは河川がたえず河道を変えながら流れていた証拠である。

 ここでは湖沼となっている河道跡は1Km以上の間隔で存在している。こうした環境のもとで水生昆虫が水生植物の遷移のある段階の水辺を選ぶとすればその昆虫は1km以上の移動はしないと、必要とする環境に行き着くことはできないということになる。

 これらのことから水生植物の遷移のある段階の水辺を生活場所にする水生昆虫は、生息に適した水辺を求めて後背湿地を長距離移動する習性を持っていたと考えられ、それ故それとほぼ同じかそれより短い間隔で作られた溜池に移り住むことができたと想定される。

6. 問題提起

 シフティングモザイクと似た現象が水田の生物にも見られる。造成した谷津田を調査してみると水田一枚一枚の生物相は比較的単純で不安定であるが、全体として種が豊富であるといったタイプの多様性の場所であるように思われる。

シフティングモザイクと似ているのは、一枚の水田に出現する生物相とその翌年に出現する生物相が異なるという点であるが、両方の間には関係がなく、しかも再現性もないということも分かった。これは後記によって前年の生物相が破壊されることに起因すると思われるが、このような系を科学する方法について討議をお願いしたい。

引用文献

宮本 誠(1994):奈良盆地の水土史,農文協,309pp.

守山 弘(1997a):むらの自然をいかす,岩波書店,128pp.

守山 弘(1997b):水田を守るとはどういうことか,農文協,205pp.

中西悟道(1944):狭義武蔵野の鳥,野鳥,11(2),108-142

Remmert,H.(1991):The mosaic-cycle concept of ecosystems - An overview, In The mosaic cycle concept of ecosystems, 1-21, Springer-Verlag Berlin Heidelberg

田端英雄編著(1997):里山の自然,保育社,199pp.

山岡景行・守山 弘・重松 孟(1977):歴史的農業地帯における屋敷林,二次林の生態学的役割,東洋大学紀要教養課程篇(自然科学),No.20,17-33


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