博物館研究 34巻10号(No.377)平成11(1999)年10月25日発行

巻頭言 「学芸員の地位向上と処遇改善」

大阪市立自然史博物館 館長 那須孝悌

はじめに

 昨年度は,全国の古くからある博物館・美術館・動物園・植物園など(以下、全てをさす場合は「館園」と呼ぶ)では,入館園者数がどこでも減少したという。特に動物園では入園者数の伸び悩みや減少と、維持経費の増加で経営難に陥った例が少なくないという。

 生涯学習時代の到来がさけばれて既に久しく、この時代にこそ館園が重要な役割を果たすべしと一般に期待されているにもかかわらず、むしろ全く反対の現象のように見える。

 なぜだろうか。何回行っても飽きない,もう一度行きたくなるような館園にするためにはどのようにしたら良いのだろうか。

努力する各館園

 大阪市においても同様の現象が見られ,平成10年度(平成10年4月〜11年3月)における入館園者数は半数以上の館園で減少した。なかには55万人増,29万人増と入場者が増加した博物館類似施設があったにもかかわらず,総ての館園と類似施設の増減をあわせると実に156万人もの減少となった。大阪府および近隣の府県においても基本的には同様な傾向が見られた。このような傾向はレジャーが多様化したためだとか,館園または類似施設の新設が相次いだためだとか一般には言われている。

 これに対して,各館園は様々な方法で集客の努力をしてきた。京都市内の美術館5館が,各館の概要紹介や企画展・イベントの紹介,交通アクセスの紹介などを収めたパンフレットを共同で発行したのも,来館者を増やすための一つの試みであった。大阪市の博物館や美術館なども共同発行のパンフレットを作ってアピールしている。また,大阪府の南部から和歌山県にかけて所在する博物館・美術館は地域のミュージアム・ネットワークを作り,共同で紹介パンフレットを作って宣伝に務めている。

 館園を訪れる人達が学習目的だけでなく,レジャーの目的で訪れている人達も多いことを考慮して,営業時間の延長や夜間営業を試みたり,ミュージアム・ショップを充実させて物品販売に力を入れたり,美術館でコンサートを開いた例のように館園の設立趣旨とは直接は関係のない様に思えるイベントと組み合わせたり,さまざまな努力をしている。場合によっては多額の宣伝費を使い,企画・広報部(課)のスタッフが勧誘や依頼に走り回って集客に務めている館園もある。当館(大阪市立自然史博物館)も,現在増築中のイベントホールを有効に利用するために,豊富な経験を積んだ副館長(行政職)をリーダーとし,庶務課長と中堅学芸員から構成され,館長も参加する企画広報チームを新たにつくって新しい運営・広報のあり方を模索している。

経営努力

 上に述べたさまざまな試みは,社会教育施設として学術成果にもとづく普及や教育を重視した従来の展示・運営方針から脱却し,わかりやすさと楽しさ,娯楽性を加味して集客能力を高めようという努力の現れだと言えよう。各館園で盛んに行われている,年間複数回にわたる「特別展」または「企画展」も,良いものを地元の人達に披露したいという,学芸員および学芸員補(以後「学芸員」と呼ぶ)の純粋な気持ちから発するものも有れば,観客動員しか考えていないのではないかと思えるものまで様々である。後者の場合はあまり熱心にやりすぎると,学芸員に自分の専門分野とは無関係なテーマでの企画展担当を強いることになり,そのような事態が長年続いた結果学芸員が疲労してしまい,自己の専門分野での研究活動さえ出来なくなってしまった,という例を幾つか耳にしたことがある。さらに最近は,いわゆる持ち込みによる大型企画展や巡回展が多くなっている。これもあまり多くなると,学芸員が自らの研究成果にもとづいて企画展のテーマを考えて提案し,実行計画を練るという企画能力を失わせる要因となりかねない。

 館園の展示は,標本展示であれ生品展示であれ,多くの人達に見て貰えなければ意味がない。そこに集客に努力する本来の意味があるのではなかろうか。入館園者数を増やすことだけが自己目的化してしまわないように,館員は,特に管理職は常に心を配る必要があろう。

 また,私立経営や法人組織で運営している館園はもちろんのことであるが,一般市民の税金で運営されている公立の館園も,経営の改善に努力すべき事は当然である。しかし経営改善に目が奪われて,館園設立の本来の目的とその実行に,もっとも重要な責任を負っている学芸員の情況が見えなくなってしまっては,せっかくの努力が無になりかねないと言うべきであろう。

大阪市立自然史博物館の特別展

 当館では特別展は年に1回しかやらない。と言うより,やれないと言うべきであろう。各学芸員が日頃進めてきた研究の成果が一定の段階に達し,あと何年かければ特別展開催に漕ぎ着けられるという見通しが立った時点で,全学芸員が出席する学芸会議に提案される。テーマと展示しようとする内容,企画が議論され,学芸員全員の理解と了承が得られると,開催予定年度が決定される。また数年に一度の割合で,全分野の学芸員が取り組まねばならない総合調査にもとづく特別展が挿入される。従って特別展開催のテーマは5年から数年先までいつも決まっている事になり,調査用の機器や展示用の標本で,通常の年間経費の中では購入する事が出来ないような高額のものは,必要に応じて事前に購入できるように別枠予算の計画が立てられる。

 一度計画に組み込まれた特別展を実現させるために,学芸員の個人またはグループは,研究成果を上げるために自分の立てた計画にもとづいて日夜研究に邁進しつつ展示の準備をする事になる。もちろん数多くの普及行事や自分の所属する館内委員会の仕事,友の会の仕事,学会事務局・役員などの仕事,研究サークルの世話など,非常に多くの仕事をこなしながらでのことである。

 当館のこのやり方は,学芸員各自が自分の研究成果をどのようにして普及し市民に還元するかという問題を理解しやすくし,目標を立てやすくしているとともに,努力が報いられるという実感を味わう事のできる良い方法だと考えている。さらに,研究成果を論文として発表する事は研究者としての責務であるが,市民の税金を給料や研究費として一年間使わせてもらったおかげで,この様な成果が上がりましたと市民に報告する意味を込めて,学芸員が順番で講演する普及行事「自然史講座」は,各自の研究者としての自覚と日常的努力をうながし,特別展の企画・実行と併せて,学芸員の質の向上に少なからぬ効果をもたらしていると思われる。

友の会活動

 当館では「サークルを生み出し育てよう」を,学芸の合言葉としている。学芸員各自が,自己の専門分野での成果を基礎に普及教育活動を展開すれば,もっと深く知りたいと希望する市民が集まってくるのは当然の事であり,そのようにして集まった人々がサークルをつくって活動することは,市民による博物館利用を促進するだけでなく,当該学問分野の裾野を広げ,いずれは後継者育成につながって行くと考えるからである。当館の学芸員が中心になったり世話をしている研究会やサークルは30ほどあるが,そのうち最も大きくかつ最も重要なのが「自然史博物館友の会」である。友の会を普及活動の要として位置づけ,その育成に携わるのは学芸員だけでなく,機関誌の発送などは庶務課の職員が手伝うなど,館をあげて取り組んでいる。 博物館友の会については「公立博物館の設置及び運営に関する規準の取り扱いについて」(昭和48年11月30日 文社社第141号 各都道府県教育委員会教育長あて 社会教育局長通達)では「七, 第八条関係」の項で「本条に示す諸活動を実施するに当たっては,博物館資料の研究者や愛好者からなる,いわゆる『友の会』などを組織して,継続的に博物館の利用を促進する等の方途を講ずることが望ましい。」と述べられており,「博物館の整備・運営の在り方について」(平成2年6月29日 社会教育審議会社会教育施設分科会)にも「1 博物館活動の活発化」の項に「博物館の継続的な利用を促進するための一つの方法として,博物館活動の参加者,博物館資料の研究者等よりなるいわゆる『友の会』などの組織の充実が望まれる。」と述べられている。しかし平成9年12月に日本博物館協会が実施したアンケート調査を集約した「博物館の運営改善に関する調査結果の概要」(以下「運営改善調査」とよぶ。要約は「博物館研究」33巻10号,1998年10月号)によると,1,839館からの回答のうち,友の会が結成されている館園は全体でわずか 21.9 %に過ぎないという。

 当館の友の会は,当館の前身である自然科学博物館が発足(1950)して間もない1955年に設立された「自然科学博物館後援会」に始まり,1958年に「大阪自然科学研究会」と改称し,さらに現在の名称となった。友の会評議員と学芸員がペアになって案内をする月例ハイキングや,合宿での自然観察会,昆虫合宿,会員同士が親睦を深めるために春と秋に開催される「つどい」など,館の行事とは別に友の会独自の行事が数多く開催されている。年1回の総会で推薦され承認された17名の評議員が,これらの行事の準備や実行を学芸員と協力してして行なっている。評議員はすべてボランティアで,年5回の定例評議員会のほか臨時の会議を開いて議論し,会を運営している。また,2000名を越える会員のうちの有志はボランティアで館が行う普及行事の補助スタッフをしてくれている。このようなボランティア活動で館を支援してくれている,評議員をはじめ友の会会員たちの献身的ともいえる働きは,学芸員を大いに勇気づけている。

 月刊普及誌である Nature Study という機関誌(12ページだて)は,前身の「後援会」時代から変ることなく毎月発行されてきたが,その編集は学芸員が責任をもって実行している。学芸員3名が交代で友の会の運営に携わっているが,ローテーションの初年度は Nature Study 編集担当,2年目は館の普及担当,現状が把握できた3年目に友の会担当と交代してゆき,この3人に,友の会の経営改善等を考えながら若手を指導する役割の中堅学芸員が加わって普及4人組と呼ばれる普及委員会を形成し,友の会活動の発展に責任を負っている。学芸員はこの役割を交代で分担し実行する過程で,経営を含む多くの事を学ぶことになる。

博物館における学芸員の役割

イコム(ICOM=国際博物館会議)は,その定款で「博物館とは,社会とその発展に寄与することを目的として広く市民に開放された営利を目的としない恒久施設であって,研究・教育・レクリエーションに供するために,人類とその環境に関する有形の物証を収集し,保存し,調査し,資料としての利用に供し,また展示を行うものをいう」と規定した。また,第11回ユネスコ総会で採択された「博物館をあらゆる人に開放する最も有効な方法に関する勧告」(1960)では,「博物館は美術品,学術資料を保存し,それらを公衆に展示することにより,各種文化についての知識を普及し,かくして諸国民間の相互理解を増進する,娯楽と知識の根源であり,文化価値を有する一群の物品並びに標本を維持・研究かつ拡充することに努め,大衆の娯楽と教育のために管理される,恒久施設であり,各地域で知的,文化的中枢として奉仕すべきである」と述べている。

 即ち,博物館(美術館等を含む館園)は,文化・学術的価値の高い標本資料を収集し,保管し,研究して,展示や学習・教育に活用することを任務とする,各地域における知的・文化的中枢であり,その博物館が果たすべき任務のうち,最も重要な部分を分担し遂行する役割を担うのが学芸員である。1951年にロンドンで開催されたイコムの大会では,「博物館は収集,保管,研究,教育,慰安(Enjoyment)を目的とする機関であり,その構成要素のうち最も重要なのは人,すなわち学芸員である」と宣言されている。

 学芸員は標本資料の文化・学術的価値を見抜く為にも,科学的知識として一般に流布している通説や俗説の真偽を見極める為にも,常に学術研究に励んで科学的判断能力を高める必要がある。すなわち学芸員は,日常的に研究活動を進めるなかで科学的な判断能力と感性を高めつつ,その研究の過程で多くの資試料を収集し,登録・保管をするとともに,研究成果を常設展示の更新や企画展示,普及講演,普及行事などで一般大衆に公表することにより,科学の進歩と成果の現状を普及して,大衆の文化的・知的要求に応える事を職務とする,研究者であると同時に社会教育者である,と言うことができよう。

 なお,博物館法(1951)第3条2項では「博物館は、その事業を行なうにあたっては、土地の事情を考慮し、国民の実生活の向上に資し、さらに学校教育を援助しうるようにも留意しなければならない。」と規定しているが,博物館が学校教育を援助するためには,教師を指導することの出来る高度な学識経験と指導力を持つ学芸員を擁する必要がある。

 かつて,当館を含む博物館施設の警備を,契約費の安い無人化機械警備に切り替えるよう当局の指示がくだったとき,勤務が終ってから当館に来て学習したり研究活動をしている市民から学習・研究の機会を奪うことになるとして反対運動が起り,全国の館園の実情調査に回った。この時ある県立博物館で,会話の内容がすれ違った挙句に「研究までしようと思ったら,そりゃ無理だわ」と言われて唖然としたことがある。調べてみるとその博物館には専任の学芸員がおらず,学校職場から昇格前に数年だけ配属される教師だけで企画展などをしていることと,それ故に展示用標本以外の標本はまともに収集・保管できていないことが判った。また,同様な人員配置情況にある他の県立博物館では,毎年1億円もの金をかけて,展示用標本の購入・補修と展示の部分更新を全て展示業者に任せているという。

 第11回ユネスコ総会での「勧告」(1960)では、「教育目的への利用を組織化するために・・・・・教育専門家をおくこと」と述べている。たしかに当館でも中学校教育との連携を深めるために「中学校における自然史博物館利用の手引き」を作ったときも,翌年「小学校における自然史博物館利用の手引き」を作ったときも,学芸員の思いだけではどうしようもないので,現場の教師達に参加してもらって一緒に作成した。「社会の変化に対応した今後の社会教育行政の在り方について(答申)」(平成10年9月17日生涯学習審議会。以下「生涯学習審議会答申」と呼ぶ)でもうたわれているように学社融合を実現しようとすれば,教育現場における現在の情況が良くわかっている教師が交代で各館園に配置されることが望ましいのは言うまでもない。しかし,それは専任の学芸員が配置されていてこそ効果が期待できるというものであろう。

学芸員の社会的地位の向上

 ある町の博物館に勤務していた学芸員が,突然自分の専門とは全く関係のない分野の博物館へ異動させられたという。その学芸員に,今後どうしたら良いだろうかと相談され,事情をよく聞いてみると,この町では学芸員に研究職給与表を適用せず,行政職給与表を適用しており,さらに,行政職扱いだから他の事務員と同様に,人事異動を命ずるのは当局人事委員会の都合次第だという考えのもとでの異動命令だったらしい。同様の配転事件はある県の古い歴史を持つ博物館でも起きたが,しかもこの場合にはその学芸員が,博物館に未登録のまま収蔵されていた標本の登録システムを決めて登録作業とデータベース化に取り組み,軌道に乗りつつある段階であった。この県の場合も,学芸員に研究職給与表ではなく行政職給与表を適用しているという。

 学芸員を,当該研究分野で必要とする研究機器や資料のない職場に配転するということは,最も重視されるべき研究機会・条件を奪うことであり,せっかく雇用した人材をむざむざ潰してしまうことにつながる。また,強制配転の前例のあるような博物館に働く学芸員は,常に,いずれ我が身という不安に駆られて,長期計画を立てて落ち着いて仕事をすることもできなくなってしまうであろう。各館園にはその設立目的に応じた専門性があり,目的を達成するために必要な専門分野の学芸員を採用してその遂行の任に当たらせたのならば,学芸員から専門性を奪うという行為が,館園全体,ひいては設立主体にどの様な結果をもたらすかは,あらためて言うまでもない事であろう。

 日本博物館協会による平成9年の「学芸系職員の研修に関する調査報告書」によると,給与表について643の館園からの回答のうち,行政職とするものが85.0%,研究職とするものが10.1%,教育職とするものが4.2%,技術職とするものが2.8%,医療職とするものが0.3%であり,研究職と教育職給与表の適用はそれぞれ県立の比が高いとの事である。それにしても研究職給与表の適用が10.1%,教育職給与表が適用されているものを合わせても14.3%という割合はあまりにも低い。「運営改善調査」によると,教育委員会の所管する館園は回答した1,337館園のうち77.9%だとの事であるから,教育委員会の所管であっても,学芸員を研究職でも教育職でもないと考えている地方自治体が大変多いことになる。

 博物館法第29条に規定された「博物館に相当する施設」は,平成10年4月17日付け文生社第194号各都道府県教育委員会教育長あて文部省生涯学習局長通知「博物館に相当する施設の取扱いについて」により,「地方公共団体の長等が所管する施設についても,当該施設が博物館に類する事業を行うものと判断される場合には,博物館相当施設として指定できる」こととなった。この通知は「社会の変化に対応した今後の社会教育行政の在り方について(中間まとめ)」(平成10年3月23日生涯学習審議会。以下「平成10年生涯学習審議会中間まとめ」と呼ぶ)による「博物館の望ましい基準の大綱化・弾力化と公立博物館の学芸員定数規定の廃止」を受けたものであるが,ここでも「現在の博物館に求められる機能は,単なる収蔵や展示に止まらず,調査研究や教育普及活動,さらには,・・・」と述べ,さらに定数規定の廃止を勧告するにあたっても「学芸員及び学芸員補は博物館にとって欠くことのできない専門的職員・・・」と述べている(「生涯学習審議会答申」も同文)。すなわち博物館法第4条の学芸員規定と合わせ考えても,学芸員は博物館存立の必須要素であり,研究者もしくは教育者であると理解されるのではなかろうか。

 このように考えると,日本における現代社会にあっては,学芸員というものは,非常に重い責務を負わされながらも,職名だけが社会的に認知されているのみで,その役割も処遇も雇用者である行政当局にさえ認知されていない,哀れな存在だと思えて仕方がない。行政当局に,学芸員という職種がどの様なものか認識してもらい,正当に認知してもらう方法はないであろうか。若い学芸員達にとって,励みと頑張りの根幹に関わる問題だと思う。

 なお,博物館法第4条に「博物館に,専門的職員として学芸員を置く。」という規定はあるが,博物館相当施設には「博物館の事業に類する事業を行う施設」(第29条)という規定はあってもその事業を誰がするのかという規定は見あたらない。「類する事業」だから学芸員でなくても良いということになるのだろうか。

 

学芸員の処遇問題

 「生涯学習時代」と言われる今,館園が果たさなければならない役割は非常に重要であるし,一般市民ならびに行政の期待も大きい。その館園にとって欠くことのできないのが専門的職員としての学芸員であり,当然ながら理事者・経営者は良い人材を集めようとすることになる。さきに述べた研究職給与表の適用は,自らの館園が雇用した学芸員に誇りと責任,そして自信を持って働いてもらうために重要な心理的効果をもたらすと共に,良い人材を求めるときの好条件でもある。各館園とも優秀な人材を得るために様々な優遇措置を講じたり,条件づくりをしている。

 学芸員として採用の誘いを受ける若い研究者にとっては,文部省科学研究費補助金が申請できるか否かは,重要な条件の一つである。申請資格に関しては「科学研究費補助金取扱規定」(昭和40年3月30日文部省告示第110号,改正昭和43年11月30日文部省告示第309合)により,第2条(この規定において「研究機関」とは,次に掲げるものをいう)の第4項で「前各号に掲げるもののほか,学術研究を行う機関で文部大臣の指定するもの」と規定されており,第4条では「補助金の交付の申請をすることができる者は,次のとおりとする。」として「研究者」に限定されている。したがって,科学研究費補助金の申請資格を有することを示す研究者番号は,研究職給与表の適用を受けている学芸員のみに与えられ,行政職給与表や技術職給与表を適用されている職員には与えられない。

 当館の場合は昭和51年(1976年)8月19日付けで,科学研究費補助金取扱規定に規定する学術研究機関としての指定を受けたことにより、指定の翌年(1977年度)から今年度(1999年度)までの間に,当館の学芸員が研究代表者となって受けた科研費補助金が24件,補助金総額22,910,000円となった。なお,当館学芸員が研究分担者となって受けた補助金は件数も補助金額も多すぎて,まだ統計を取っていない。

 さらに奨学金の返還が免除されるか否かも,若い学芸員にとっては生活上重要な問題である。奨学金返還特別免除制度は,優秀な教員や学術研究者を早期に確保するために創設されたもので,日本育英会法第24条により定められており,大学(短大を含む),大学院,高専で第一種奨学金の貸与を受けた者が,学校の教員や文部大臣により指定された研究機関の研究員となり,一定の年数その職にいたときに奨学金の返還が免除される制度である。国立の美術館や博物館のほか,地方公共団体が設立した博物館では,東北歴史博物館,福島県立博物館,栃木県立博物館,千葉県立中央博物館,神奈川県立金沢文庫,神奈川県立生命の星・地球博物館,福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館,大阪市立自然史博物館,大阪市立博物館,大阪市立美術館,徳島県立博物館,民間学術研究機関としては古代オリエント博物館が特別免除制度の適用を受ける学術研究機関として指定されている(1997年度)。当館では16名の学芸員のうち,修士課程での奨学金を受けた人が進学者14名中8名,博士課程では進学者8名全員が奨学金を受けていた。

 上記の文部省科学研究費補助金にしても,奨学金の返還免除にしても,理事者側としては一銭の金も使わずに好条件を整えられるのであるから,博物館を研究機関として位置づけ,学芸員を研究職として位置づける事によってもたらされる好影響を考慮に入れておくべきであろう。新しい博物館を建設中のある県の人事担当者が,奨学金や科研費は個人の問題だと言って突っぱねたそうであるが,行き着く先が見えそうな何とも情けない話である。

 学芸員の日頃の頑張りにせめて応えるためには,地位を向上させ,処遇を改善する必要があると思われるが,自治体や法人組織の理事者や民間の経営者に対してどの様にすれば理解して貰えるのであろうか。そしてこの問題について国は指導と助言・援助をすることはできないものであろうか。

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那須孝悌 NASU, Takayoshi