以下の記事は1998年12月、大阪市立自然史博物館友の会の月刊誌NatureStudy44巻12号11-12ページに博物館、友の会関係者向けの状況説明として掲載されたものを一部修正したものです。過去の記事ですが、日本の博物館の倫理規定(参考)を検討する材料として使ったことも有り、あえて残しています。博物館研究33巻9号12-14ページとあわせてご覧いただければ幸いです。

自然史博物館が買った「孔子鳥」化石について

那須孝悌

画像をクリックすると大きくなります.撮影:樽野博幸学芸員.画像の無断使用を禁じます.

はじめに

 今年の7月5日付け朝日新聞は1面トップで「中国の希少化石不正流入」「孔子鳥,法で持ち出し禁止」という見出しで,中国政府が国外への持ち出しを禁止している孔子鳥化石が、日本に不正流入しており,これを当館を含む6つの公立博物館が取得(購入)しており、国際博物館会議(イコム)の定める倫理規定に違反していると報じました。同紙の社会面(35面)には,「「目玉」欲しさ、飛びつく」「博物館「ロストワールド」失われた?倫理」という見出しがならび,あたかも博物館が珍しい化石欲しさに国際的倫理をかなぐり捨て,中国の法律をも破って買い付けるという悪い事をしているように,友の会会員の皆さんには思えた事と思います。翌日には毎日新聞,産経新聞および NHK のラジオ・テレビも同様の内容を報じました。そこで孔子鳥化石購入の経過と、この事にかかわる問題について説明したいと思います。

 なお、この問題が起きてからだいぶ日が経ちましたが、当館としても、私個人としても軽はずみな対応をするべきではないと考え、慎重な調査と検討を重ねてきました。この過程で、名指しされた博物館の館長としての見解をイコム日本委員会事務局のある日本博物館協会に、1998年8月17日付けで提出しました。その全文が「博物館研究」33巻9号 p.12〜14に「中国産「孔子鳥化石」購入問題について」(1998年9月25日発行)という標題で掲載されました。また、自然史博物館友の会の "Nature Study" 1998年12月号 p.11〜12 に文;那須孝悌・写真;樽野博幸「自然史博物館が買った「孔子鳥」化石について」として同様の内容で報告しました。ご参照下さい。

孔子鳥化石購入の経過

 戦火に焼け残った旧靱小学校の校舎から長居公園に移転して、現在の自然史博物館を開館したのは1974年でした。その後、展示の一部は新しいものに作りかえましたが、かなり多くの部分は当時のままです。何とか早く展示を新しくしたいと願いましたが、大変お金のかかる仕事なのでなかなか思うようにはなりません。それでも学芸員が皆で新しい展示の企画を練り続け、その新展示の中で鳥の進化のことを知るための標本を展示するため、中国から鳥の祖先と思われる「シノルニス」という化石を購入しました。

 新聞で問題になった直後に、当館は購入経路などについて改めて調査しましたが、中国の国家機関から購入したものであり、特に問題はないということになりました。しかし脊椎動物化石担当の樽野博幸学芸課長代理が化石の新種名を記載した原著論文のコピーを取り寄せて調べたところ、化石名はシノルニス Sinornis santensis でなく、孔子鳥 Confuciusornis sanctus そのものだったとのことです。

 なお、孔子鳥化石を含む企画展を,朝日新聞も後援して7月25日から開催する予定だったある公立博物館も、他の博物館も、新聞などでこの問題が取り上げられた直後に常設展示から外したとのことですが、当館の場合は将来の展示更新のために購入したので、まだ展示はしたことがありません。もちろん展示更新の時には展示に出す予定です。

中国の文化財保護法

 孔子鳥化石の産出国である中国には「中華人民共和国文物保護法」(1982年11月19日 第5回全人代常務委員会第25次会議通達により制定、1991年 6月29日 第7回全人代常務委員会第20次会議修改通達により改定:以後は「文物保護法」とよびます)があります。その第1章「総則」第2条(5)に「科学的価値を有する古脊椎動物化石および古人類化石は文物と同様に国家の保護を受ける」と記されており,文化財の輸出については第6章「文物出境」第27条および第28条で細かく定められています。

 「中華人民共和国文物保護法実施細則」(1992年4月30日 国務院)の第8章「附則」第48条では「古脊椎動物化石と古人類化石の保護方法・・・・については,別に制定する」とされており,各行政区域ごとに条例や規則が定められています。これは「文物保護法」の第1章第3条の「各省,自治区,直轄市及び文物の比較的多い自治州,県,自治県,市は文物保護管理機構を設立し,その行政区域内の文物工作を管理することができる」という規定を受けたもので,定められている内容は行政区域ごとに異なっています。

 たとえば「黒竜江省文物管理条例」(1986年1月21日 黒竜江省第6回人民代表大会常務委員会第19次会議通達)では第1章「総則」第2条で本条例の適用文化財として「古人類化石及びその遺跡、古脊椎動物化石」のほかに「重要な植物化石及びその産地」が加えられています。しかし、「孔子鳥」化石の輸出(国外への持ち出し)を禁止するという規則を書いた文書は見あたりません。

 なお、「文物保護法」が制定されるよりずっと前の1950年に出された「中央人民政府政務院令」附「禁止珍奇文物図書出国暫行辧法」の第2条(2)では古代動植物の遺跡、遺骸及び化石等の古生物は一律に輸出を禁止するとされており、1960年に出された「文化部、対外貿易部の文物輸出鑑定基準に関するいくつかの意見」の付属文書「文物輸出鑑定参考基準」では、「古人類化石は一切の人類遺物遺跡の化石を含めて年代に関らず一律輸出せず」また「古生物化石は一切の古代動植物遺跡、遺骸の化石を含めて、完全なものは一律輸出せず」と書かれています。しかし「文物保護法」の第8章「附則」第33条によって、それより古い時代に定めたことは廃止され「文物保護管理に関する規定で、本法と抵触するものは、本法を基準とする」とされています。いずれにせよ、今回問題になった孔子鳥化石が、新しい文物保護法のもとで制定された規則などで無条件に輸出禁止となっている事を示す文書は未だに見つかっていません。さらに幾つかの事例を知りたい方は国家文物事業管理局編「新中国文物法規選編」(文物出版社, 1987)をご覧下さい。

 なお、新聞に孔子鳥化石の問題が取り上げられる前に新聞記者からいくつかの問い合わせがあったときに、「ワシントン条約」と孔子鳥との関係が尋ねられたとのことです。孔子鳥化石のように特定の地域から産出する化石が、その地域の地史を示す重要な文化財であることは当然のことですが、絶滅の危機に瀕していたり絶滅の恐れのある、今生きている動植物の絶滅を防ぐために設けられた「ワシントン条約」とは、大昔に絶滅した動植物の化石ですから扱いも対処法も異なるのは当然のことです。

イコム職業倫理規定

 今回の問題について文部省は7月28日、生涯学習局社会教育課長の名前で全国科学博物館協議会理事長あてに、「博物館資料の収集について(依頼)」という文書を送り、資料収集にあたっては国際博物館会議が定めた規定の趣旨を踏まえた十分な注意が必要である、という通知を出しました。

 国際博物館会議(ICOM、イコム)は博物館および博物館専門職による会員制の国際的非政府機構です。したがって、非会員にまで及ぶ処罰・強制権限はありません。しかし、1986年の第15回イコム総会(ヴェノスアイレス)で採択された「イコム職業倫理規定」は、博物館専門職として最小限必要とされる事柄を扱ったもので、会員であるか否かを問わず、その精神は全ての博物館専門職によって重んじられるべきものです。

 「イコム職業倫理規定」の「博物館収集品の取得」の項では、「収集品は博物館の目的と活動に関連するものであって、正当な法的所有権の証拠書類が伴っているべきである。」「博物館は非常に例外的な場合を除き正規なものとしてカタログに載せたり保存・保管・展示できないようなものを取得するべきではない。」「不法取引は・・・国の財産・世界の財産の精神に反する。」などなど、国際的に法を遵守することが強く求められています。これらの規定を守るためには、関係各国が自分の国の法律を整備し厳正に守ることと、各国が相互に相手国および自国の法を守ることが求められています。しかし、現状では国ごとの事情があまりにも違いすぎて、解決しなければならない問題がたくさん残されています。

 そもそも「イコム職業倫理規定」は、1970年に第16回ユネスコ総会(パリ)で採択された「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡の禁止及び防止の手段に関する条約」の内容をより具体的に文章化したものです。条約には、「自国の領域内に所在する文化財を盗難、盗掘及び不法な輸出の危険から保護することが各国の義務である」ことと、「国際協力がそれらの不法な行為による危険から各国の文化財を保護するための最も効果的な手段の一つである」ことが明記されています。しかしこの条約は86カ国によって締結され、採択後28年も経っているにもかかわらず、日本はまだ署名

をしていません。日本に持ち込まれた盗品を取り締まることも、逆に日本から持ち出された盗品の返還を求めることもできないわけです。国際協力を進めるためにはまず条約に署名するところから始めないとならないわけです。

中国における文化財保護の現状

 「文物保護法」の第6章(文物出境)では、輸出および国外持ち出しをするときには全て事前に税関に届け出て、文化行政管理部門の鑑定を経て輸出許可証の発給を受けなければならない、と定められており、国外持ち出しは必ず指定の港(空港)から行わなければならないとされています。しかし現実には、広大な面積に言語さえ異なる多くの民族が住む巨大国にあっては、法律を周知徹底し規則通りに事を運ぶのは至難の業です。

 中華人民共和国国務院は、「法人による文化財の損失事件がやや増加している。古墳の盗掘、館収蔵文化財の盗難、文化財の密貿易などの犯罪活動や文化財の非合法な交易活動がたびたび起きている。」など、中国の文化財事業が直面している多くの困難な情況のなかで、社会主義市場経済体制に適応した文化財保護体制をつくるために「文化財事業の強化と改善に関する告示」を昨年の3月30日に出しました。この告示のなかでは「有効な保護、合理的な利用、管理の強化」を貫徹するために、社会全体が参与する文化財保護体制の設立と、文化財保護に関する法律体系の整備、文化財行政管理部門の機能強化などが強く呼びかけられています。また、文化財は一種の特殊な商品であり、文化財市場の管理を強化改善し、調整と監督を強化して、文化財市場の健全な発展を保証しなければならない、として、公安、国内取引、商工、税関、文化財などの関連部門が共同作業を強化し、協力して文化財の盗掘や盗難、密貿易等の犯罪活動を厳しく打破しなければならないとよびかけています。

 永い歴史を持つ中国の貴重な文化財が、激しい犯罪的行為にさらされている現状の中で、中国自身が法の整備と犯罪の防止に積極的に取り組もうとしている現在、その努力の効果がより一層高まるように、今後は関係諸国が、1970年にユネスコ総会で採択された「条約」で約束された国際協力を実行に移す必要があります。そのためには、標本資料を購入しようとするときには、法的にも通関手続きにも問題がないことを証明する文書を業者に求めて、悪質な輸入販売業者を排除するなど、盗掘、盗難、密貿易などの国際犯罪につながるあらゆる行為を一掃する努力が必要です。継続的に地道な努力を重ねることによって、日中両国の研究者・博物館関係者の信頼関係を高める中で、学術と博物館事業の発展に必要な、正常な標本資料の交換交流と、健全な文化財市場を確立する事が、さし迫った緊急課題といえるでしょう。

おわりに

 今回の孔子鳥化石購入問題をめぐって、各社の記者や輸入業者、博物館学芸員の多くと意見を交わす機会がたくさんありました。朝日新聞の記者が電話をしてきたときには「あんなひどい見だしを書いて、博物館に何か恨みでもあるのですか」と抗議をしたこともありました。しかし朝日新聞の指摘に始まった一連の議論で、化石を購入するには相手国の法律を守ってきちんとした手続きをする必要があることを博物館関係者が再認識し、「イコム職業倫理規定」を再確認できたことは、貴重な経験となったと思います。そして化石を単なる金儲けのために使おうと法を犯している業者や、新しく造られる博物館や博物館類似施設建設のどさくさに紛れてあくどい金儲けをしようとするような業者を、この世界から追い出すことが出来るよう願っています。


(なすたかよし:大阪市立自然史博物館 館長)


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